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「日向・大隅・薩摩国島津荘(荘園)」の版間の差分

 
 
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日向・大隅・薩摩にわたる約八千町歩の大荘園。万寿年中(1024~8)に太宰大監平季基が、日向国の島津(現在の都城市付近)の荒野を開発して、関白藤原頼通本家に寄進したのがはじまりといわれる。(『講座日本荘園史』第10巻p.397)
 
日向・大隅・薩摩にわたる約八千町歩の大荘園。万寿年中(1024~8)に太宰大監平季基が、日向国の島津(現在の都城市付近)の荒野を開発して、関白藤原頼通本家に寄進したのがはじまりといわれる。(『講座日本荘園史』第10巻p.397)
 
(『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)
 
(『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)
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※[[「日本荘園データベース」の荘園比定地について]]
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[[Category:千年村]]
 
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緯度経度 31° 43' 11" 北, 131° 3' 42" 東

日向・大隅・薩摩にわたる約八千町歩の大荘園。万寿年中(1024~8)に太宰大監平季基が、日向国の島津(現在の都城市付近)の荒野を開発して、関白藤原頼通本家に寄進したのがはじまりといわれる。(『講座日本荘園史』第10巻p.397) (『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)

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