〈千年村〉を「集落」からみる
〈千年村〉を「集落」からみる - 伊豆大島元町地区を事例に
伊豆大島の元町地区は、島の西側に位置し、大島町役場も所在する伊豆大島の中心地区の一つです。2013年10月16日に発生した台風26号による土石流災害で、元町地区が甚大な被害を受けたのは、記憶に新しいところです。
千年村プロジェクトでは、被災後のこの地区をいち早く訪れ、集落の復興とその後の持続に寄与すべく、この度の土石流と集落の関係について調査をおこないました。その結果、伝統的な集落構造が土石流に対して一定の順応性を持った可能性があることに気付きました。
千年村プロジェクトでは、この分析を基に、元町地区の復興に対する提言をおこなっておりますが、ここでは、自然災害に対抗せず、順応するかのように営まれてきた集落のあり方を紹介します。
雛壇状の土地利用と石垣が組み合わされた「ダンダン」の集落構造
写真:伊豆大島元町地区
当地周辺の人の居住は、元町地区より少し南の「下高洞」で縄文時代の遺跡が発見されていることから、少なくともこの頃には遡ります。元町地区は、文禄年間(1592-1596)に発生した「びゃく」(山津波とも呼ばれる土石流)による集団移動によってできあがった集落にはじまると言われています。土石流とともに歩んできた集落であったということができます。
伊豆大島の地質は、三原山の火山活動から成り立っており、島の大部分は溶岩流によって形成された緩斜面をなしています。元町地区も、14世紀はじめの噴火によって流出した溶岩流が海に流れ込むことで作られた緩斜面に位置します。人々はこの緩斜面に平坦な敷地を形成すべく、雛壇状に敷地を造成して住んできました。その土地造成の際に必要となるのが石垣です。石垣に利用可能な三原山由来の玄武岩は容易に入手でき、これは全島にわたって共通して見ることができます。また石垣は土地造成のためだけでなく、防風にも役立てられました。このような雛壇状の土地利用と石垣の組み合わせが、火山の島という環境が生み出した伊豆大島の基本的な集落構造と考えられます。これを千年村プロジェクトでは、「ダンダン(段々)」の集落構造と呼ぶことにしました。
元町地区では1965年に大火があり、伝統的な集落の大部分がその後の区画整理によって失われました。しかしその中でも、伝統的な集落景観が残存している地域も見られます。元町の南方、中心部から少し外れた元町二丁目あたりです。雛壇状の土地利用は、現在でも見ることはできますが、石垣に関しては様相が異なります。石垣はそのまま残っているものもありますが、ブロック塀にとって代わられたり、石垣の上にブロック塀が組み合わせて用いられているものもあります。
土石流を「ためつつながす」元町地区の防災力
左:石垣と「だんだん」の家屋配置 右:土石流を「ためつつながす」元町地区の景観
先頃発生した台風26号による土石流災害の被害に対して、千年村プロジェクトが調査を実施したところ、この土地の「ダンダン」の集落構造が土石流に対して一定の機能を果たし、被害を軽減させた可能性があることに気付きました。石垣によって土石流をためつつ流すことで勢いが落ち、また道路より高い位置にある家には土石流が及ばなかったことが明らかとなりました。つまり、「ダンダン」の集落構造は、土石流に対し抵抗するのではなく、その勢いを減衰させ、受け流していくような機能を持ちます。
当地区は、噴火・津波・土石流など様々な災害を乗り越えてきた歴史を持つ集落である点、またその集落構造の残存が集落の防災性に寄与する可能性を持つ点から、〈千年村〉としての特性を評価することができます。