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FOS 2020-08-19 @ 04:13:06

『基山町史』より抜粋です。

基肄郡山田郷...「田代から神辺町にかけての大木川左岸」
基肄郡基肄郷...「近年は、鳥栖市と基山町の境に広がる八ツ並丘陵が、郡家の候補地として有力になってきたので、その付近に比定するべきであろう。すなわち、鳥栖市の今町から基山町園部の南東部に相当する。」
基肄郡川上郷...「秋光川上流の基山町園部の西部に比定されよう。」

養父郡養父郷...「郡家所在郷と考えられるが、養父郡家は、鳥栖市蔵上町から養父町付近に比定されるので、このあたりが養父郷であろう。」
養父郡鳥栖郷...「遺称地名として、鳥栖市本鳥栖町がある。」

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web担当 石川 2020-09-05 @ 06:18:17

FOSさま、

当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度FOS様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。
なお、基肄郡基肄郷に関しましては、千年村プロジェクトの比定作業において既にプロット済みだったため、コメント欄に情報を追記させていただきました。
情報提供者としてFOS様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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FOS 2020-08-14 @ 07:16:22

豊後国国東郡について
ネット公開されている渡辺澄夫氏「豊後国東郷と諸富名について」に佐藤四信氏の説が紹介されています。

阿岐郷…旧安岐町(国東市)など
武蔵郷…旧武蔵町(国東市)など
国東郷…旧国東町(国東市)など
伊美郷…旧国見町(国東市)など
来縄郷…旧高田町(豊後高田市)など
田染郷…旧田染村(豊後高田市)

国東半島はよく地名が残っている地域のようです。

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web担当 石川 2020-09-05 @ 06:00:17

FOSさま、

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度FOS様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。情報提供者としてFOS様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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さがみっこ 2020-08-13 @ 11:18:05

高座郡塩田郷について
角川日本地名大辞典では、
『平安期に見える郷名「和名抄」相模国高座【たかくら】郡十四郷の1つ高山寺本では「之保太」,東急本は「之保多」と記す「新編相模」によると,江戸期の田名村の小名に塩田があることから,これを当郷の遺名であると伝えており,現在の相模原市田名の付近に比定しているまた「地名辞書」もこの説をとっているしかし「大日本国誌」では,塩田の地は美濃郷に属し,当郷に相当するのは「大谷の辺」として,田名説を否定しているまた「相模原市史1」は当郷名の由来について,相模川沿いの山峡地帯に塩山・塩尻・塩売り窪などの地名があることから,塩をつくった田ではなく,海辺地帯より運ばれてきた塩と交換するための稲作をした田であると述べ,相模川沿いの田名・大島・相原などの一帯としている現在の相模原市内に比定されるが,詳細は不明』
となっているものの、海老名市の大谷の項目では塩田郷について触れておらず、現在刊行されている「県史14 神奈川県の歴史(山川出版社)」では、相模原市中央区田名塩田辺りを比定地としています。
なお、大字田名小字塩田は、現在では住居表示が行われ、田名塩田1〜4丁目になっております。
またこの地域は、田名向原遺跡、田名塩田遺跡等があり、旧石器時代以降各時代の住居跡等の遺跡があり、現在の住所では、隣接する当麻地区になるものの、当麻東原古墳と呼ばれる古墳がある地域であります。

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web担当 石川 2020-09-05 @ 05:57:25

さがみっこさま、

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度さがみっこ様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。
代表点としては、『角川日本地名大辞典』の記載から相模原市田名の付近をプロットさせていただきました。
情報提供者としてさがみっこ様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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syougen 2020-07-10 @ 03:51:57

武儀郡揖可郷(岐阜県)と賀茂郡美和郷(岐阜県)について
 揖可郷は現岐阜県美濃加茂市伊(い)深(ぶか)町である。
半世紀ほど前の伊深村役場には、この地区に在住されていた大学教授(哲学・民俗学者)による「伊深の歴史」概略が掲示されていた。
揖可(いぶかの)郷(ごう) (伊(い)深(ぶか))という地名はいつ頃からあったのか
皇紀一四一〇年(天平勝宝二年 七五〇)
光明皇后(聖武天皇后)の弟で藤原(ふじわら)仲麻呂(なかまろ)(恵美押(えみおし)勝(かつ))の署名が入った、武儀郡揖可郷(いぶかのごう)から二十二歳の奴婢(ぬひ)「(土着以外の人・奴隷)」二人が東大寺に献上したという文献が歴史上確認できる最古の資料である。
これは「美濃(みの)国司(こくのし)解(げ)」という文献に銘記されていて、この「揖可郷」が現在の伊深のことである。
皇紀一五九七年(長寛元年 一一六三) 
揖深荘が近衛家から鷹司家へ譲られたという文書が現存している。その後、鷹司兼平→鷹司兼忠らから興福寺大乗院へと所有が移った。
皇紀一九二三年(弘長三年 西暦一二六三年) 
鎌倉時代中期、揖深庄(可が深に変わっている)の地頭は春日部(かすかべ)左(さ)衛門(えもん)泰(やす)実(ざね)だったが、非法のため解任された。「吾妻鏡」に記載
これらから「倭名類聚抄 武儀郡揖可郷」は「伊深」であるとされています。

賀茂郡美和郷(岐阜県)の疑問
HPには現在美濃加茂市の旧三和村に比定する説(未詳)とされているが、三和村の発祥は明治でありそれ以前の諸文献にこの地区を「ミワ」と称する記述は無く、前述の「揖可郷」の地域は現三和地区辺りも含まれていたとされている。
 また近隣町史にも類似した記載がなされていて、この情報を基にされているならいささか疑問符のつくものである。

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web 担当 石川 2020-07-25 @ 10:41:57

syougenさま

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
〈千年村〉プロジェクトでは、全国を一度同じ基準でプロットするために基本的に『角川地名辞典』と『日本古代史地名事典』を使用しているため、精度は高くなく、この様にいただいた情報で都度更新しております。
この度syougenさまにご提供いただいた情報もぜひ反映させていただきたいのですが、ホームページ上にsyougenさまのお名前といただいた情報の内容を掲載してもよろしいでしょうか。
問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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FOS 2020-06-14 @ 21:07:30

貴サイトの福岡県の地図を見ていて、いくつか疑問があります。

1.筑後国と豊前国が欠落
 ブリタニカ国際大百科事典では、筑後国は10郡54郷、豊前国は8郡41郷(うち一部
 は大分県)とあります。
 しかし現状では、貴サイトで比定できたとされているのは「一般提供情報」による
 筑後国の2郷のみです。
 つまり、貴プロジェクトによる作業の段階で、国単位でまるごと欠落しているようなのです。何か作業上のミスがあったのではないでしょうか。

2.「現在地に比定できなかった郷名一覧 」について
 貴サイトでは『和名類聚抄』に基づいて作業されている旨の記載がありますが、『和
 名類聚抄』に記載されている筑後国54郷のうち、貴サイトでは比定された扱いの郷と
 して2郷、比定できなかった郷として8郷しか挙げられていません。一般の情報提供を
 待つためにも、『和名類聚抄』に記載され比定できなかったすべての郷名を挙げるべ
 きではないでしょうか。

3.誤りの修正について
 以前、メールにて情報提供と誤りの指摘をさせていただきましたが、まだ反映さ
 れていないようです。
 ご多忙のところ恐縮ですが、自分が住む県の情報が空虚なのは寂しいので、作業を進
 めていただければうれしいです。

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web 担当 石川 2020-07-25 @ 10:39:12

FOSさま

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
返信が遅くなってしまい申し訳ございません。
まず「筑後国と豊前国が欠落しているのではないか」とのご指摘ですが、国ごと見落としているわけではなく、
地図上にプロットされているものに関しては大字まで比定できたもののみを示しています。
なお、比定作業における出典は『角川地名辞典』をベースとしており、詳しくは
http://mille-vill.org/『和名類聚抄』の郷名比定地によるE38088千年村〉データベースの扱いについて
を参照していただければ幸いです。
また、今回FOSさまからのご指摘を受け、今一度『角川地名辞典』に掲載されている郷名の中で大字まで比定できるものが現在の結果とあっているかの確認作業を行う所存です。

「現在地に比定できなかった郷名一覧」に関するご指摘や前回いただいた訂正箇所に関しては、
今後データベース作成時の資料を確認した上で、訂正いたします。
訂正でき次第ご連絡いたしますので、反映まで今しばらくお待ちください。

今後ともよろしくお願いいたします。

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FOS 2020-08-05 @ 05:37:24

地図をみると、肥前国のうち長崎県部分も比定地が少なかったので、確認してみました。

『角川日本地名大事典』より

松浦郡長野村…「現在の宇久町小浜郷長野が遺称地である」(合併後、佐世保市宇久町小浜)
松浦郡旻楽埼…「現在の三井楽【みいらく】町内に比定される」(現在五島市)
松浦郡生属…遣唐使船着岸、牧(平戸市生月町)
松浦郡那留浦…遣唐使船寄港地(五島市奈留町)
松浦郡志式島…「平戸市志々岐が遺称地であり」(平戸市志々伎町)
松浦郡庇羅郷…平戸市
高来郡神代郷…「現在の国見町神代が遺称地である」(雲仙市国見町神代)
高来郡伊古…「伊古は周辺の伊福・大河などとともに宇佐宮領であった」(雲仙市瑞穂西郷)
高来郡伊福…同上(雲仙市瑞穂町伊福)
高来郡大河…同上(長崎県雲仙市瑞穂町伊福甲)
高来郡肥最埼…「当地には警固所が設けられていた」ただし村かは不明(長崎市脇岬町)
彼杵郡彼杵郷…諸説あるが東彼杵町付近は一定
彼杵郡平敷…「長崎市浦上町に比定される」ただし石材の産地名、村かは不明


『日本歴史地名大系』合蚕田浦の項より
松浦郡川原浦…「また遣唐使船は当停や川原浦(現岐宿町)から出航し」(五島市岐宿町川原)

彼杵郡速来村…「肥前国風土記」彼杵郡条(佐世保市早岐2丁目の早岐神社が別称「速来宮」)

『新編大村市史』より
彼杵郡大村郷…中心地は乾馬場、諏訪、武部(大村市乾馬場町、諏訪、武部町)

倭名類聚抄記載の郷の比定は必ずしも多くはないのですが、遣唐使関係で浦の名が残っています。


新型コロナウイルスの関係でこのような研究活動もままならない状況かと思います。どうぞご自愛ください。

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おきたろう 2020-03-16 @ 12:07:07

貴ページの「千年村をみつける」を開いて「都道府県からみつける」「秋田県」と進んでいくと「現在地に比定できなかった郷名一覧」がありますが、その中の「秋田県雄勝郡本津郷」とあるのは「秋田県雄勝郡大津郷」のことと思われますが、いかがでしょうか。なお、大津郷は、現湯沢市の西を流れる雄物川と、北を流れる皆瀬川に挟まれる一帯と見る説もあるようです。

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web担当 いとう 2020-03-25 @ 03:54:47

おきたろう 様
この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた秋田県雄勝郡本津郷に関して、文献によって本津郷・大津郷(里)と両方の表記があるのが確認できました。ページ上の表記につきましては、作成時の資料を基に精査いたします。しばらくお待ちください。
また弊ページといたしましても、いただいた情報によって比定できる郷が増えることは非常に有難く感じております。雄勝郡大津郷にも是非地図にプロット・公開させていただきたく存じます。
つきましては、おきたろう様がご覧になった文献を教えていただくことは可能でしょうか?
こちらにご返信いただければ幸いです。

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おきたろう 2020-03-16 @ 12:01:16

貴ページの「千年村をみつける」を開いて「都道府県からみつける」「秋田県」と進んでいくと「現在地に比定できなかった郷名一覧」がありますが、その中の「秋田県雄勝郡本津郷」とあるのは「秋田県雄勝郡大津郷」のことと思われますが、いかがでしょうか。なお、大津郷は、現湯沢市の西を流れる雄物川と、北を流れる皆瀬川に挟まれる一帯と見る説もあるようです。

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濱田裕幸 (http://taptior.livedoor.blog/) 2020-01-17 @ 07:23:36

越後国頸城郡夷守郷は新潟県妙高市美守(ひだのもり)のようです。谷川健一『白鳥伝説』p64に、夷守がのちに美守に転じたとあります。(喜田貞吉氏の引用?)郵便番号案内ではヒダノモリ。「夷」の
字を「美」と書き違えたのでしょうか。

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web担当 いとう 2020-03-25 @ 03:23:52

濱田裕幸 様
この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。お返事が遅くなり失礼いたしました。
比定できていなかった頸城郡夷守郷について、文献を紹介いただき感謝申し上げます。出典を併記する形で、新たに一般提供情報として地図に反映しプロットいたししました。問題がございましたらご返信ください。

改めて貴重な情報をご提供いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

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