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ゲストブック

* 情報提供に対する訂正作業は担当者不在の為、2023年1月1日以降、いったん停止させていただきます。(2022.12.28)

  • ゲストブックからお寄せいただいた情報により、千年村候補地プロット(位置情報)のアップデートを行います。千年村候補地は地図情報として「千年村を見つける」に反映されます。
  • まず、千年村プロット更新に必要な情報は、情報提供者からの具体的な位置情報の提案、その根拠となる出典、情報提供者の名前です。
  • アップデートは年2回(6月、12月ごろ)を予定しています。
  • アップデートの際は、情報提供者の方に、ご記入いただいたEメール(非公開・事務連絡用)より、確認にご協力いただきます。
syougen 2020-07-10 @ 03:51:57

武儀郡揖可郷(岐阜県)と賀茂郡美和郷(岐阜県)について
 揖可郷は現岐阜県美濃加茂市伊(い)深(ぶか)町である。
半世紀ほど前の伊深村役場には、この地区に在住されていた大学教授(哲学・民俗学者)による「伊深の歴史」概略が掲示されていた。
揖可(いぶかの)郷(ごう) (伊(い)深(ぶか))という地名はいつ頃からあったのか
皇紀一四一〇年(天平勝宝二年 七五〇)
光明皇后(聖武天皇后)の弟で藤原(ふじわら)仲麻呂(なかまろ)(恵美押(えみおし)勝(かつ))の署名が入った、武儀郡揖可郷(いぶかのごう)から二十二歳の奴婢(ぬひ)「(土着以外の人・奴隷)」二人が東大寺に献上したという文献が歴史上確認できる最古の資料である。
これは「美濃(みの)国司(こくのし)解(げ)」という文献に銘記されていて、この「揖可郷」が現在の伊深のことである。
皇紀一五九七年(長寛元年 一一六三) 
揖深荘が近衛家から鷹司家へ譲られたという文書が現存している。その後、鷹司兼平→鷹司兼忠らから興福寺大乗院へと所有が移った。
皇紀一九二三年(弘長三年 西暦一二六三年) 
鎌倉時代中期、揖深庄(可が深に変わっている)の地頭は春日部(かすかべ)左(さ)衛門(えもん)泰(やす)実(ざね)だったが、非法のため解任された。「吾妻鏡」に記載
これらから「倭名類聚抄 武儀郡揖可郷」は「伊深」であるとされています。

賀茂郡美和郷(岐阜県)の疑問
HPには現在美濃加茂市の旧三和村に比定する説(未詳)とされているが、三和村の発祥は明治でありそれ以前の諸文献にこの地区を「ミワ」と称する記述は無く、前述の「揖可郷」の地域は現三和地区辺りも含まれていたとされている。
 また近隣町史にも類似した記載がなされていて、この情報を基にされているならいささか疑問符のつくものである。

返信返信
web 担当 石川 2020-07-25 @ 10:41:57

syougenさま

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
〈千年村〉プロジェクトでは、全国を一度同じ基準でプロットするために基本的に『角川地名辞典』と『日本古代史地名事典』を使用しているため、精度は高くなく、この様にいただいた情報で都度更新しております。
この度syougenさまにご提供いただいた情報もぜひ反映させていただきたいのですが、ホームページ上にsyougenさまのお名前といただいた情報の内容を掲載してもよろしいでしょうか。
問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

返信返信
syougen 2020-10-17 @ 08:39:57

まさかで返信遅れました、ご丁重なご回答いただき感謝申し上げます。当方、何の学識もないドの付く素人でご参考にならないですが、よろしくお願いいたします。今後のご発展を心よりお祈り申し上げます

返信返信
FOS 2020-06-14 @ 21:07:30

貴サイトの福岡県の地図を見ていて、いくつか疑問があります。

1.筑後国と豊前国が欠落
 ブリタニカ国際大百科事典では、筑後国は10郡54郷、豊前国は8郡41郷(うち一部
 は大分県)とあります。
 しかし現状では、貴サイトで比定できたとされているのは「一般提供情報」による
 筑後国の2郷のみです。
 つまり、貴プロジェクトによる作業の段階で、国単位でまるごと欠落しているようなのです。何か作業上のミスがあったのではないでしょうか。

2.「現在地に比定できなかった郷名一覧 」について
 貴サイトでは『和名類聚抄』に基づいて作業されている旨の記載がありますが、『和
 名類聚抄』に記載されている筑後国54郷のうち、貴サイトでは比定された扱いの郷と
 して2郷、比定できなかった郷として8郷しか挙げられていません。一般の情報提供を
 待つためにも、『和名類聚抄』に記載され比定できなかったすべての郷名を挙げるべ
 きではないでしょうか。

3.誤りの修正について
 以前、メールにて情報提供と誤りの指摘をさせていただきましたが、まだ反映さ
 れていないようです。
 ご多忙のところ恐縮ですが、自分が住む県の情報が空虚なのは寂しいので、作業を進
 めていただければうれしいです。

返信返信
web 担当 石川 2020-07-25 @ 10:39:12

FOSさま

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
返信が遅くなってしまい申し訳ございません。
まず「筑後国と豊前国が欠落しているのではないか」とのご指摘ですが、国ごと見落としているわけではなく、
地図上にプロットされているものに関しては大字まで比定できたもののみを示しています。
なお、比定作業における出典は『角川地名辞典』をベースとしており、詳しくは
http://mille-vill.org/『和名類聚抄』の郷名比定地によるE38088千年村〉データベースの扱いについて
を参照していただければ幸いです。
また、今回FOSさまからのご指摘を受け、今一度『角川地名辞典』に掲載されている郷名の中で大字まで比定できるものが現在の結果とあっているかの確認作業を行う所存です。

「現在地に比定できなかった郷名一覧」に関するご指摘や前回いただいた訂正箇所に関しては、
今後データベース作成時の資料を確認した上で、訂正いたします。
訂正でき次第ご連絡いたしますので、反映まで今しばらくお待ちください。

今後ともよろしくお願いいたします。

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FOS 2020-08-05 @ 05:37:24

地図をみると、肥前国のうち長崎県部分も比定地が少なかったので、確認してみました。

『角川日本地名大事典』より

松浦郡長野村…「現在の宇久町小浜郷長野が遺称地である」(合併後、佐世保市宇久町小浜)
松浦郡旻楽埼…「現在の三井楽【みいらく】町内に比定される」(現在五島市)
松浦郡生属…遣唐使船着岸、牧(平戸市生月町)
松浦郡那留浦…遣唐使船寄港地(五島市奈留町)
松浦郡志式島…「平戸市志々岐が遺称地であり」(平戸市志々伎町)
松浦郡庇羅郷…平戸市
高来郡神代郷…「現在の国見町神代が遺称地である」(雲仙市国見町神代)
高来郡伊古…「伊古は周辺の伊福・大河などとともに宇佐宮領であった」(雲仙市瑞穂西郷)
高来郡伊福…同上(雲仙市瑞穂町伊福)
高来郡大河…同上(長崎県雲仙市瑞穂町伊福甲)
高来郡肥最埼…「当地には警固所が設けられていた」ただし村かは不明(長崎市脇岬町)
彼杵郡彼杵郷…諸説あるが東彼杵町付近は一定
彼杵郡平敷…「長崎市浦上町に比定される」ただし石材の産地名、村かは不明


『日本歴史地名大系』合蚕田浦の項より
松浦郡川原浦…「また遣唐使船は当停や川原浦(現岐宿町)から出航し」(五島市岐宿町川原)

彼杵郡速来村…「肥前国風土記」彼杵郡条(佐世保市早岐2丁目の早岐神社が別称「速来宮」)

『新編大村市史』より
彼杵郡大村郷…中心地は乾馬場、諏訪、武部(大村市乾馬場町、諏訪、武部町)

倭名類聚抄記載の郷の比定は必ずしも多くはないのですが、遣唐使関係で浦の名が残っています。


新型コロナウイルスの関係でこのような研究活動もままならない状況かと思います。どうぞご自愛ください。

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おきたろう 2020-03-16 @ 12:07:07

貴ページの「千年村をみつける」を開いて「都道府県からみつける」「秋田県」と進んでいくと「現在地に比定できなかった郷名一覧」がありますが、その中の「秋田県雄勝郡本津郷」とあるのは「秋田県雄勝郡大津郷」のことと思われますが、いかがでしょうか。なお、大津郷は、現湯沢市の西を流れる雄物川と、北を流れる皆瀬川に挟まれる一帯と見る説もあるようです。

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web担当 いとう 2020-03-25 @ 03:54:47

おきたろう 様
この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた秋田県雄勝郡本津郷に関して、文献によって本津郷・大津郷(里)と両方の表記があるのが確認できました。ページ上の表記につきましては、作成時の資料を基に精査いたします。しばらくお待ちください。
また弊ページといたしましても、いただいた情報によって比定できる郷が増えることは非常に有難く感じております。雄勝郡大津郷にも是非地図にプロット・公開させていただきたく存じます。
つきましては、おきたろう様がご覧になった文献を教えていただくことは可能でしょうか?
こちらにご返信いただければ幸いです。

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おきたろう 2020-03-16 @ 12:01:16

貴ページの「千年村をみつける」を開いて「都道府県からみつける」「秋田県」と進んでいくと「現在地に比定できなかった郷名一覧」がありますが、その中の「秋田県雄勝郡本津郷」とあるのは「秋田県雄勝郡大津郷」のことと思われますが、いかがでしょうか。なお、大津郷は、現湯沢市の西を流れる雄物川と、北を流れる皆瀬川に挟まれる一帯と見る説もあるようです。

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濱田裕幸 (http://taptior.livedoor.blog/) 2020-01-17 @ 07:23:36

越後国頸城郡夷守郷は新潟県妙高市美守(ひだのもり)のようです。谷川健一『白鳥伝説』p64に、夷守がのちに美守に転じたとあります。(喜田貞吉氏の引用?)郵便番号案内ではヒダノモリ。「夷」の
字を「美」と書き違えたのでしょうか。

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web担当 いとう 2020-03-25 @ 03:23:52

濱田裕幸 様
この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。お返事が遅くなり失礼いたしました。
比定できていなかった頸城郡夷守郷について、文献を紹介いただき感謝申し上げます。出典を併記する形で、新たに一般提供情報として地図に反映しプロットいたししました。問題がございましたらご返信ください。

改めて貴重な情報をご提供いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

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うずまき 2019-09-09 @ 23:55:53

伯耆国日野郡野上郷の比定地について
 現鳥取県西伯郡伯耆町二部周辺と伝えられています。
 同地内には野上川という川が流れており、これが野上郷の名前の名残とされています。西伯郡伯耆町二部周辺が野上郷と推定されています。

伯耆国日野郡葉呂郷の比定地について
 現鳥取県日野郡日南町福万来に小字(横路 よころ)とあり、(葉呂 よろ)から変化したものと伝えられています。出典は『日野郡史』『日野山桜』などあり、同様の記載があります。
 鳥取県日野郡山上地域周辺が「葉呂郷」と推定されています。

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web担当 いとう 2019-11-17 @ 14:58:57

うずまき様
この度は当ページにたくさんの情報をお寄せいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた比定地名につきまして、日野郡野上郷に関しましては確認が取れましたので新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたししました。
日野郡葉呂郷に関しましては小字単位の情報を今後資料を確認し、訂正でき次第ご連絡いたします。反映まで今しばらくお待ちください。

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web担当 いとう 2020-01-15 @ 02:58:59

うずまき様
日野郡葉呂郷に関しまして、ご対応が遅くなり申し訳ございません。
お寄せいただいた情報、小字「横路」の現在の位置をこちらで調べましたが、確認することができませんでした。つきましては、「横路」が現在の番地で福万来のどの辺りに当たるのか、教えていただくことは可能でしょうか?
ご返信お待ちしております。

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横路 理紀 2020-07-17 @ 12:29:31

日野郡史 同十二節
82頁
葉侶
郡の南西、日野川左岸なる高原、即ち出雲に接する一帶の高原に古來山の上と稱する地あり。
鳥上峯のふところにあたり、所謂東南道の通過地點なり。
現今、山上、大宮、阿毘縁の三村に分る。
その山上村大字福萬來に字葉侶殘れり、(現に葉侶と書きてヨコロと訓めり。

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常陸大宮市 (http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/) 2019-09-06 @ 01:36:18

常陸大宮市が古代に属していた常陸国北部の久慈郡18郷の内の6郷と、那珂(那賀)郡22郷の内の4郷に関する比定地は『新編常陸国誌』の記事をもとに大字をまとめました。
〈久慈郡〉
餘部(あまべ)郷:常陸大宮市の現大字・・・北富田、諸沢
:市外の大字・・・北富田(大子町分)、高倉・武生・天下野(常陸太田市)
河内(こうち)郷:常陸大宮市の現大字・・・家和楽、照山、西野内、舟生、山方、小貫、辰ノ口
:市外の大字・・・西金(大子町)、上宮河内・下宮河内・下利員・上利員・中利員(常陸
太田市)
八部(やたべ)郷:常陸大宮市の現大字・・・野上、照田、長田、上大賀、岩崎、小祝、北塩子、西塩子、八
田、若林、引田
:市外の大字・・・なし
楊島(やなぎしま)郷:常陸大宮市の現大字・・・塩原、小倉、富岡
    :市外の大字・・・箕・竹合・花房・上新地・下新地・島・小島(常陸太田市)
真野(まの)郷:常陸大宮市の現大字・・・久慈岡、鷹巣、東野、大宮、宇留野、泉、根本
:市外の大字・・・なし
倭文(しどり)郷:常陸大宮市の現大字・・・石沢、上村田、下村田、上岩瀬、下岩瀬
:市外の大字・・・下大賀、静、瓜連、古徳、戸崎(那珂市)
〈那珂(那賀)郡〉
朝妻(あさづま)郷:常陸大宮市の現大字・・・鷲子、小田野、高部、上檜沢、下檜沢、氷之沢、大岩、小
舟、油河内、入本郷
:市外の大字・・・なし
那珂(なか)郷:常陸大宮市の現大字・・・松之草、小玉、小瀬沢、上小瀬、下小瀬、那賀、国長、金井、野
口(一部)、中居、千田、吉丸、秋田、野田、長倉
:市外の大字・・・なし
阿波(あわ)郷:常陸大宮市の現大字・・・檜山、上伊勢畑、下伊勢畑
:市外の大字・・・赤沢・上阿野沢・下阿野沢・大山・粟(城里町)
川辺(かわのべ)郷:門井、野口、野口平、三美、小野、小場、上村田(一部)
:市外の大字・・・なし

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Web担当 いとう (いとう) 2019-09-08 @ 08:05:36

常陸大宮市 担当者様

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた比定地名につきましては今後データベース作成時の資料などを確認し、訂正でき次第ご連絡いたします。反映まで今しばらくお待ちください。
取り急ぎ、お礼のみで失礼いたします。 今後ともよろしくお願いいたします。

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web担当 いとう 2020-01-10 @ 03:42:46

常陸大宮市 担当者様

大変お待たせいたしました。
ご指摘いただいた全ての比定地名につきまして、当ページで未比定だったものは新しくプロットし、既に比定済のものは一般提供情報として追記いたしました。その際情報提供者の欄に常陸大宮市(http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/)様とお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。

あらためて貴重な情報をいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

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横山 2019-07-21 @ 15:32:00

遠江国長上郡の郷比定地について
長上郡にはご存知の通り、長田、河邊、蟾沼、壱志、茅原、碧海の六郷があります。
浜松市史には、それぞれの比定地が載っているので紹介します。
長田郷 →浜松市東区中田町
河邊郷 →浜松市東区中郡町
蟾沼郷 →浜松市東区笠井町
壱志郷 →浜松市東区中野町
茅原郷 →浜松市浜北区永島
碧海郷 →浜松市東区中里町

また、長下郡の郷についてです。
長下郡幡多郷を麁玉郡覇田郷と混同されているようで、地図では浜松市東区半田町に比定されていますが、これは麁玉郡覇田郷の比定地です。
長下郡幡多郷の比定地は、浜松市南区富屋町です。
長下郡長野郷の比定地は、磐田市前野です。

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Web担当 いとう (いとう) 2019-09-08 @ 07:58:39

横山さま

この度は当ページにたくさんの情報をお寄せいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた比定地名につきましては今後データベース作成時の資料を確認し、訂正でき次第ご連絡いたします。反映まで今しばらくお待ちください。
取り急ぎ、お礼のみで失礼いたします。

返信返信
web担当 いとう 2019-11-17 @ 14:43:23

横山様

この度横山様からお寄せいただいた情報の確認が取れましたので、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたししました。反映に時間がかかってしまい申し訳ありませんでした。

あらためて貴重な情報をいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

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