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ゲストブック

* 情報提供に対する訂正作業は担当者不在の為、2023年1月1日以降、いったん停止させていただきます。(2022.12.28)

  • ゲストブックからお寄せいただいた情報により、千年村候補地プロット(位置情報)のアップデートを行います。千年村候補地は地図情報として「千年村を見つける」に反映されます。
  • まず、千年村プロット更新に必要な情報は、情報提供者からの具体的な位置情報の提案、その根拠となる出典、情報提供者の名前です。
  • アップデートは年2回(6月、12月ごろ)を予定しています。
  • アップデートの際は、情報提供者の方に、ご記入いただいたEメール(非公開・事務連絡用)より、確認にご協力いただきます。
2019-02-08 @ 10:05:06

 初めてこのホームページを見ております。
 佐賀県の神埼郡宮処郷を唐津市千代田町付近に比定されていますが、旧神埼郡千代田町の西南部付近の間違いだと思います。地図で確認したら、若宮神社があるので、「お宮さんのある処」という意味なのでしょうか。旧佐賀県民として(気持ちは今も佐賀ん者)最初びっくりしました。唐津と千代田町は遠く離れていますので。
 それはそれとして、私の故郷(旧牛津町)にも「千年村」として比定できるところがあることを知り、嬉しくなりました。確かに古い集落だなと思われるところはあります。

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Web担当 荻野 2019-02-11 @ 09:42:19

源 さま

当ホームページをご覧いただき、またコメントをいただきありがとうございます。
こうしてご自身の地域が千年村であることを知っていただけることは、私たちにとっても喜ばしい限りです。

ご指摘の佐賀県の神埼郡宮処郷についてですが、当方でも確認いたしますので、少しお時間をください。確認次第ご連絡いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。

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web担当 荻野 2019-04-16 @ 08:45:42

源 さま

確認にお時間がかかり失礼いたしました。
ご指摘いただきました神埼郡宮処郷について確認したところ、確かに現在の神埼市千代田町にプロットすべきところを、旧松浦郡である唐津市千代田町にプロットしてしまっていました。ご指摘いただきありがとうございました。プロットを修正させていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

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すっぴん 2019-01-24 @ 15:12:21

三潴郡鳥養郷についてですが、
現在の久留米市に鳥飼小学校があります。
鳥を養う郷、鳥を飼う場所でしょうから、もしかしたら一緒なのでは無いでしょうか?
かつては、三潴郡鳥飼村という地名の時期もあったようですから。

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web担当 荻野 2019-01-25 @ 05:25:05

すっぴん 様

当ウェブサイトをご覧いただきありがとうございます。
三瀦郡鳥養郷についていただきました情報について当方でも調べた結果、『日本歴史地名大系』電子版 (平凡社)にて「遺称地名として近代の鳥飼村があり、現久留米市梅満町鳥飼に比定される」という記述が確認でき、鳥飼小学校の所在地との一致していることが確認できました。
つきましては一般提供情報としてプロットを追加させていただきます。その際に情報提供者としてすっぴん様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご連絡ください。
この度は情報提供ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

web担当 荻野

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S Qchi 2018-12-14 @ 13:44:20

石川県で加賀郡英多郷は現在地に比定できていませんが、これはおそらく現在の河北郡津幡町の一部から現在のかほく市の一部(旧宇ノ気町の辺り)、宝達押水町の一部(最南部辺り)ではないかと思います。古老から、そのように聞いており、現在も河北郡津幡町に英田(あがた)という地名があります。
個人の方のHP ですが以下の記事も参考になります。
https://folklore2017.com/timei/128.htm


また、以下のHP に同様の記載があります。
加賀国と能登国の境目について】  加賀国と能登国の境目は現在のどの辺りか。
回答(Answer)
『石川県高松町史』(119563622)
P.169 金津庄と大海庄
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000219844
 

なお、旧宇ノ気町の余地、上田名、谷、笠島、横山(この5つの地区をいまだに金津地区と呼びます。現在の金津小学校校区。)と鉢伏地区に関しては、かほく市HPの賀茂神社の項 に記載あります通り、大同元年(806年)頃から金津荘と呼ばれる、賀茂神社の荘園であったとのこと。
以来現在も続く、千年村であることは、疑いない事実かと思います。これらの地区は英多郷に含まれていたと思います。

http://www.city.kahoku.ishikawa.jp/www/01/101/006/023/index_6235.html

かほく市賀茂神社は、京都の下鴨神社から来ているようです。そちらもご参考頂くとよいと思います。
http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j1898/

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事務局 森 2019-01-11 @ 05:34:51

S Qchi 様

この度は当ホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。返信・ご対応が遅れてしまい申し訳ありません。

これまでの比定根拠では加賀郡英多郷を現在地に比定することはできませんでしたが、お寄せいただいた情報と資料をもとに、一般提供情報として加賀郡英多郷を現河北郡津幡町英田公民館にプロットさせていただきます。
その際に提供情報者としてS Qchi様のお名前を併記させていただきますが、問題があるようでしたらご連絡いただけると幸いです。
この度は情報をお寄せいただき誠にありがとうございます。
事務局 森

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元石川県民 2018-12-14 @ 07:40:28

深い造詣なく、かつて住んだ記憶だけでコメントさせて頂きます。石川県で比定できてらっしゃらない加賀国山上郷ですが能美市宮竹町あたりを「山上地区」と言っています。でも付近に「山下」と呼ばれる地域は聞いたことがなかったなぁ…確か昔は「山上尋常小学校」などがあったかと…また同じく「野身郷」ですが小松市に能美町があります

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web担当 荻野 2019-01-11 @ 05:06:42

元石川県民 様

この度は当ホームページをご覧いただきありがとうございました。
いただいた情報は私ども今後ののデータベース更新に活用させていただきます。情報のご提供ありがとうございました。
また返信が遅れてしまいましたことをお詫びいたします。

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名無し 2018-09-29 @ 12:09:40

間違っていると,思ったので,訂正させて頂きます。
富武士はトミプシじゃなくて,トップシと読みますよ。

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Web担当 荻野 2018-12-13 @ 00:47:54

ご指摘いただきありがとうございます。またお返事が遅くなってしまい失礼いたしました。
北海道の富武士について、現在の地名の読みを当方でも調べたところ、ご指摘の通りトップシと読むことが確認できました。
一方で私どものデータベースの元となっている「アイヌ語地名リスト」(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/ass/new_timeilist.html) を再度参照したところ、こちらではトミプシとされておりました。そのため、現時点では資料との整合性のために、当サイトではトミプシと表記している次第です。
こうしたケースは他にもあるかもしれません。当方でも現在の現地での読みを反映すべきか、資料を重んじるべきか、対応を考えたいと思います。
この度はご指摘いただきありがとうございました。

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本田竜平 2018-08-22 @ 13:21:06

大変興味深く拝見いたしました。
山城国愛宕郡小野郷について、京都市左京区上高野の崇道神社で小野毛人の墓、その御旅所のおかいらの森で「小乃」の文字の入った瓦が発掘されているので、上高野を中心とした一体を小野郷に比定できるのではと思います。
個人的な意見なのですが、小野氏の本拠地が滋賀県の真野であったという説があるので、真野から上高野にかけてにある大原・八瀬・岩倉東部も小野郷に含まれたのでは、と思います。岩倉は現在の同志社の辺りで近江系の土器が発掘されたので、東部のみ小野郷だったと考えています。西南部の幡枝には「栗栖野瓦窯」があったと比定されているので、岩倉盆地における小野郷は現在の同志社校のあたりまで広がっていたのではないでしょうか。

https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/187.pdf(小野瓦窯跡)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kouko/item09.html
(崇道神社)
https://www.shibakyu.jp/blog/2009/12/04/905.html
(大原 小野霞)
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/iwakura2/pdf/chapter4_5.pdf
(岩倉忠在地遺跡)

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本田竜平 2018-08-22 @ 13:50:07

源氏物語「夕霧」にも小野が登場し、修学院の山荘が小野山荘のモデルといわれているそうです。また、夕霧が小野山荘に落葉宮を訪ねるくだりで、松ヶ崎(高野川西岸)が小野とは別の場所として認識されているので、小野は高野川水系以東の比叡山麓一帯の呼称であったのではないでしょうか。その小野の古代の中心地が上高野では。
http://www.genji-monogatari.net/html/Genji/combined39.1.html#paragraph1.1 (源氏物語 夕霧)

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Web担当 荻野 2018-08-29 @ 08:22:44

本田竜平 様

当ウェブサイトをご覧いただきありがとうございます。
また、この度は愛宕郡小野郷に関して貴重なご意見・情報をいただき、ありがたく存じます。
今後の調査・研究に役立てさせていただきます。何か当方でも調査の進展がありましたらご連絡いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。

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小畑浩一 2018-07-28 @ 15:36:48

現在地に比定できなかった郷名一覧 に「知多郡英比郷(愛知県)」があります。
愛知県阿久比町のホームページを見ると英比郷であった記載があります。

http://www.town.agui.lg.jp/contents_detail.php?frmId=179

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Web担当 荻野 2018-07-29 @ 02:39:36

小畑浩一様

当サイトにお越しいただき、また貴重な情報をいただきありがとうございます。リンクを貼っていただいたホームページ確認させていただきました。
当方、プロットの可否を大字の単位で比定できるか否かで判断しているため、現段階でプロットはできませんが、今後の調査活動の上で役立てさせていただきます。今後調査に進展があればご連絡させていただきます。よろしくお願いいたします。

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中島伸子 2018-07-25 @ 11:07:22

大変興味深く拝見しました。
大分県日田市で比定されていない地名ですが、先日郷土史セミナーで聞いた話では、続日本紀に「いしい」「ありた」「わたり」「ゆきい」「よあけ」の記述があるそうです。
「日理」が「亘理」なら「わたり」、「父連」が「刃連」なら「ゆきい」、「夜開」は現在「夜明」で「よあけ」ではないでしょうか。

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Web担当 荻野 2018-07-29 @ 00:39:38

中島伸子様

当サイトをご覧いただき、また情報提供いただきありがとうございます。お教えいただいた地名をこちらでも確認し、一般提供情報として掲載させていただきます。その際に中島さまのお名前を情報提供元として記載させていただきますが、問題がございましたらご連絡いただければ幸いです。

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中島伸子 2018-08-12 @ 13:36:55

返信ありがとうございます。
セミナーで聞いたお話をお伝えしただけですので、ぜひご確認をお願いします。

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中島伸子 2022-04-12 @ 03:46:34

久しぶりに訪問しましたが、「日理」→「亘理」→「渡里」=「わたり」、「父連」→「刃連」=「ゆきい」、「夜開」→「夜明」=「よあけ」の確認はできなかったということでしょうか?

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