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ゲストブック

* 情報提供に対する訂正作業は担当者不在の為、2023年1月1日以降、いったん停止させていただきます。(2022.12.28)

  • ゲストブックからお寄せいただいた情報により、千年村候補地プロット(位置情報)のアップデートを行います。千年村候補地は地図情報として「千年村を見つける」に反映されます。
  • まず、千年村プロット更新に必要な情報は、情報提供者からの具体的な位置情報の提案、その根拠となる出典、情報提供者の名前です。
  • アップデートは年2回(6月、12月ごろ)を予定しています。
  • アップデートの際は、情報提供者の方に、ご記入いただいたEメール(非公開・事務連絡用)より、確認にご協力いただきます。
遠藤 武文 2018-01-07 @ 09:03:42

安曇郡村上郷(長野県)の比定地と更級郡村上郷(長野県)を混同しています。訂正願います。

返信返信
ウェブ担当鈴木 2018-01-11 @ 11:23:48

遠藤 武文 様

当サイトへお越しいただきありがとうございます。
また、千年村候補地についての訂正提案ありがとうございます。
その件にについてこちらで再度確認させていただきます。
少々お時間を頂きますが、改めてご返信させていただきます。

よろしくお願いいたします。

ウェブ担当
鈴木

返信返信
ウェブ担当鈴木 2018-01-12 @ 08:33:13

遠藤 武文 様

お世話になっております。
本件について、確認したところ、たしかに両地域のプロットに混同が見られました。
お知らせいただきありがとうございました。

公開しているマップでは、更級郡村上郷(長野県)が正しいプロットとなります。
安曇郡村上郷(長野県)については、改めて調べさせていただきます。
情報の更新にはお時間をいただいてしまいますが予めご了承下さい。

この度は、貴重な情報をいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

ウェブ担当
鈴木

返信返信
和氣清章 2018-01-04 @ 05:47:22

伊勢国壱師郡小川郷は周辺の調査から現在の嬉野中川町です

返信返信
ウェブ担当鈴木 2018-01-11 @ 11:22:01

和氣清章 様

当サイトへお越しいただきましてありがとうございます。
また、未比定の千年村候補地の情報をいただきありがとうございます。
少々お時間いただいてしまいますが、壱師郡小川郷について、提供情報としてマップに反映させていただきます。
その際に、比定の根拠として「周辺の調査」に関する簡単な情報をいただけますと幸いです。

また、提供者として和氣清章様のお名前を使わせていただきます。
何か問題がございましたら、ご返信ください。

改めまして、この度は未比定の候補地についての情報提供ありがとうございました。

ウェブ担当
鈴木

返信返信
高橋 光浩 (なし) 2018-01-04 @ 03:50:05

千年村の中で広島県豊田郡安宿郷の件です。これは豊田郡安直郷➡現在の三原市沼田東町、沼田西町付近の間違いではないかと思います。この地域は以前、東大の石井進先生が調査に来られた場所です。

返信返信
ウェブ担当鈴木 2018-01-11 @ 11:13:23

高橋 光浩 様

当サイトへお越しいただきありがとうございます。
また、千年村候補地についての情報提供ありがとうございます。
豊田郡安宿郷についてこちらで再度確認させていただきます。
少々お時間を頂きますが、再度ご返信させていただきます。

よろしくお願いいたします。

ウェブ担当
鈴木

返信返信
ウェブ担当鈴木 2018-01-12 @ 08:26:25

高橋 光浩 様

お世話になっております。
本件について、確認いたしました。

高橋様がおっしゃられる豊田郡安直郷とは、沼田郡安直郷のことかと思います。
ただ、沼田郡安直郷は比定されておりませんでしたので、あらたに一般提供情報として地図にプロットさせていただきます。
その際に、高橋様のお名前を提供者として掲載いたします。不都合ございましたらご返信いただければと思います。
更新には少々お時間をいただいてしまいますが予めご了承下さい。
このたびは、貴重な情報提供をありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

ウェブ担当
鈴木

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長谷川 理成 2017-11-20 @ 23:56:35

長柄郡柏原郷について
千葉県茂原市小萱場に住む長谷川と申します。
和名抄の柏原が萱場に代わったとされる学説を最近知り貴HPにたどり着きました。
小萱場は江戸時代小萱場村として確立されましたが、以前は古萱場といったそうです。村内の熊野神社、道祖神社は平安時代長元2年、3年に創立されたという伝承があること、また上総二宮荘として鳥羽上皇の側近藤原信西が皇室に施入したことが橘樹神社の文書にのこされています。
小萱場村に戦国末期から住む家として律令時代の様子が判ればと周辺を調査中です。
なお、昭和50年卒ですが、千葉大園芸学部は母校です。
当プロジェクトに全面協力いたしたいと存じます。

返信返信
ウェブ担当 荻野 2017-11-24 @ 09:14:23

長谷川理成様
当サイトにお越し頂きありがとうございました。

長柄郡柏原郷に関する情報をご提供いただきありがとうございます。
2012年に当プロジェクトで千葉県の千年村候補地の悉皆調査を行い柏原郷も訪れておりますが、詳細な調査は行っておりませんでした。今回長谷川様にご提供いただいた情報を「一般提供情報」として当サイトの柏原郷のページに記載いたします。その際に長谷川様のお名前も併記させていただきますが、問題がございましたらご返信願います。
情報提供のご協力大変ありがたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

返信返信
長谷川 理成 2017-11-27 @ 02:16:09

このことに関して
 特に問題ありません。

返信返信
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安藤雅彦 2017-10-27 @ 03:15:49

岐阜県~長野県の地名です。

『瑞浪市の歴史(昭和46年発行)』p.50~52によると,『和名類聚抄』では,

土岐郡
土岐郷は,瑞浪市土岐町西部,山田・小田・寺河戸町,明世町戸狩・山野内などで(土岐郡家および土岐駅の所在地?)。
駅家郷は,瑞浪市土岐町東部や釜戸町,大湫町,日吉町半原などで土岐駅の付属郷。
日吉郷は,瑞浪市日吉町,明世町月吉など瑞浪市北部地域で東山道沿道。
餘戸郷は,瑞浪市稲津町。または妻木,下石町など旧土岐郡南部一帯にわたる地区ともいい,一里に足らなかった村。(現在の釜戸町ともいう)
楢原郷は,土岐市泉・土岐津・肥田町など土岐津盆地。(現在の笠原地区ともいう)
たじ(田+只)味郷は,現在の多治見市を中心とする多治見盆地地区。

また,『瑞浪市史・歴史編(昭和49年発行)』p.161~163にも上記の記述がありますが,やや異なる記述もあります。

さらに,瑞浪市史では,

恵那郡
淡気郷は,山岡町・明智町・瑞浪市陶町を含む小里川上流一帯。
安岐郷は,中津川市阿木・飯沼,岩村町など阿木川上流一帯。
絵上郷は長野県木曽郡薮原・宮ノ原・須原・野尻など木曽川上流一帯。
絵下郷は,木曽郡南部および恵那郡坂下町・福岡町,中津川市苗木など木曽川以北の付知川流域。
坂本郷は,中津川市中津川・坂本・神坂・落合地区。
竹折郷は,恵那市武並町・大井町・三郷町を中心とする地域。

平成の合併で郡・市は変わっています。また,参照した書籍に地図も載っています。実家に立ち寄ったので,調べました。

返信返信
ウェブ担当 荻野 2017-11-24 @ 09:12:51

安藤雅彦 様
ご返信が遅くなり申し訳ありません。
当webサイトへお越しいただきありがとうございました。

現在地を比定できていない岐阜・長野の12郷に関して、詳細な情報を提供いただきましたこと、お礼申し上げます。
少々お時間はかかってしまいますが、安藤様からの情報を地図に一般提供情報として反映させていただきます。その際に情報提供者として安藤様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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ひろしは! 2017-10-26 @ 13:05:27

滋賀県の比定されていない地名 栗太郡治田郷について

サイト「湖南の草津界隈」に記載のある地域及び栗東市治田地区と思われますがいかがでしょうか。
また、比定されている栗太郡梨原郷は、岡本町辺りとされていますが、もう少し西側となる草津市笠縫村、草津村辺りとなるのではないでしょうか。すると、上記の治田郷とも重ならずにすむように思うのですが、いかがでしょうか。

「草津市史によると、律令時代の栗太郡治田郷は、矢橋、南笠、大路、青地、山寺一帯を含んでいたとみられるとある」(湖南の草津界隈)から

「笠縫の歩み」
http://kasanui.net/kasanui/kasanuino_ayumi/rekisi.html
「湖南の草津界隈」
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/7066/8264/11962710
「近江歴史回廊倶楽部」
http://ohmikairou.org/col119.html

私は草津市常盤村の出身にてこの千年村プロジェクトに興味を持ちました。

返信返信
ひろしは! 2017-10-26 @ 13:23:42

梨原郷の比定地の根拠として以下記述があること気づきました。
青地と山寺が梨原郷と治田郷として、重なりますね。

「現在の草津市馬場町・山寺町・岡本町・青地町・追分町・草津町・矢倉町付近一帯。(p523)」

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ウェブ担当 荻野 2017-11-24 @ 09:11:33

ご返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
先日はリストの誤記をご指摘いただきありがとうございました。

栗太郡治田郷の比定地について情報をくださりありがとうございます。
ひろしは!様からの情報を「一般提供情報」として地図に反映いたします。その際にひろしは!様のお名前を記載させていただきます。問題がございましたらご連絡ください。

また、梨原郷と治田郷の比定領域が重なっている件についてですが、私どもは古文書に記載のある地名を『角川日本地名大辞典』など地名研究の成果である文献資料と照らし合わせ現在地をプロットしております。地図の下に記載している比定根拠はその引用となります。(詳しい手順に関してはこちらをご参照ください。)古代郷の正確な領域を明らかにすることは難しく、これらの文献の情報も古代での郷域を正確に指し示すものではないため、比定領域の重複が生じることがあります。

今後ともよろしくお願いいたします。

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ひろしは! 2017-10-24 @ 13:50:59

滋賀県の「比定できなかった郷」リストが全て三重県になっています

返信返信
ウェブ担当 荻野 2017-10-25 @ 10:26:58

ひろしは! 様

当サイトをご覧いただきありがとうございます。

滋賀県の「現在地に比定できなかった郷」のリストですが、ご指摘の通り誤った情報が反映されておりました。多少時間がかかってしまいますが、修正いたします。
ご指摘いただきありがとうございました。

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青地 一郎 2017-10-23 @ 03:13:54

 一昨日の朝日新聞BEで、千年村プロジェクトのことを知りました。さっそく私の住んでいる所の

そばにどこがあるか拝見しましたら、滋賀県栗太郡梨原郷が載っており興味を持ちました。
 十年ほど前、この近くに青地城が現在の志津小学校になぜ築かれたか地理的な面から調べたこと

があります。うやむやになってしまいましたがこのプロジェクトと重なるところがあり参考にして

いただけたらと思います。
 梨原郷の場所としてマーキングされている場所の東方向に草津川が流れておりますが、すこし遡

りますと山の尾根を切って流れております。このような地形は自然ではありえないもので、人工的

に切り開いたことがわかります。川の流れが、等高線と平行に近いかたちで流れていることからも

わかるかと思います。このような指摘は、土木関係や草津市教育委員会の方と話し合ったときそれ

ぞれからききました。確定的な証拠もなくうやむやのなっているようです。
 尾根を切ってある上流付近から元の草津川は別の方向に流れていることになります。マーキング

してあるところに川が流れていますが、叔母川といいます。地図をよく見ていただければ、桐生地

区の草津川付近が源流らしいことがわかります。この叔母川が元の草津川ではないかと教育委員会

の方とも意見が一致しました。青地城の近くの田を深く掘ったら川原石らしいものが出てきたとの

話も聞いております。
 ではいつ草津川が付け替えられたのか。草津川は北のほうにしばらく流れ西に方向を変えます。

ここでも自然の流れる方向からずれてまっすぐ琵琶湖に流れ込んでいました。この流れは条理をつ

っきて流れており、平行に流れています。条理の中を川が流れるということは川が先にあればこの

ようなことは避けているはずです。この付近の条理の成立は鎌倉時代ではないかと言われており、

これ以降に草津川が付け替えられたということになります。
 そしたら下限はいつかということになりますが、全く資料が見つかっていません。江戸時代だと

すると、これほどの大事業にもかかわらず記録がないということは考えられませんから、中世とい

うことになります。中世この付近は比叡山延暦寺の寺領と金勝寺、一部園城寺の寺院勢力と、佐々

木六角氏およびその家臣の青地氏の勢力が拮抗する所となっていました。この中のどこかが主体に

なってこの事業をしたのだと考えています。
 平安時代に編纂された『和名類聚抄』から梨原郷という地名を拾われたとのことですが、その時

のビスタは大きく変わったことになります。なぜ大きな環境変化にもかかわらずこの郷村が維持さ

れてきたのかお教えいただければ幸いです。

追加:滋賀県の郷名一覧から探したのですが、その下にある「現在地に比定できなかった郷名一覧

」は滋賀県の地名にもかかわらず、三重県となっています。間違いではないでしょうか。

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ウェブ担当 荻野 2017-10-25 @ 10:25:04

青地一郎 様

朝日新聞の記事をご覧いただき、また本サイトへお越しいただきありがとうございました。

滋賀県の栗太郡梨原郷につきまして、詳細な情報を提供いただきありがとうございます。
本プロジェクトでは、『和名類聚抄』に記載のある郷のうち、地名研究者による成果を元に現在地に比定できる地域をプロットいたしました。詳細なプロット手法についてはこちらをご覧ください。
それらの場所は、平安期からそこで生産と生活が行われてきたと仮定して「千年村候補地」としています。
青地様が研究されている滋賀県栗太郡梨原郷については、大きな環境変化があるにも関わらず、人々の営みが持続的に現在まで続いてきたのは非常に興味深いことだと思います。
私どもは当地域の調査を行なっていないため、詳しいことをお答えすることができません。これまで調査した関東の千年村候補地では、傾向として段丘上や自然堤防上などの地盤が安定している場所や山際の微高地などに旧集落が残っており、その周囲で生産や開発を行なっているものが多かったです。梨原郷が比定される地域では河川事業は扇状地で行われており、地域内に段丘で周囲より高くなっている場所があるようですので、上記の傾向に当てはまるものかもしれません。(以上は、あくまで土地条件図や航空写真などからの簡単な推測です。)
条理への変化、河川事業による大規模な環境変化は、その他の地域へと展開できる重大なテーマであると考えられます。今後、千年村プロジェクトによる研究が展開し、もし新たな情報がわかりましたら改めてお答えさせていただきます。引き続きよろしくおねがいいたします。

また滋賀県の「現在地に比定できなかった郷名」につきましてはご指摘の通り誤った情報が反映されておりました。少々時間はかかってしまいますが訂正させていただきます。ご指摘いただきありがとうございます。

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