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ゲストブック

* 情報提供に対する訂正作業は担当者不在の為、2023年1月1日以降、いったん停止させていただきます。(2022.12.28)

  • ゲストブックからお寄せいただいた情報により、千年村候補地プロット(位置情報)のアップデートを行います。千年村候補地は地図情報として「千年村を見つける」に反映されます。
  • まず、千年村プロット更新に必要な情報は、情報提供者からの具体的な位置情報の提案、その根拠となる出典、情報提供者の名前です。
  • アップデートは年2回(6月、12月ごろ)を予定しています。
  • アップデートの際は、情報提供者の方に、ご記入いただいたEメール(非公開・事務連絡用)より、確認にご協力いただきます。
web担当 石川 2021-06-30 @ 07:41:21

皆さま、
当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
皆さまからいただいた情報をもとにプロットを更新いたしました。

次回の更新は12月に行う予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。

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石川幸二 2021-05-03 @ 05:33:56

訂正します。陸奥国への玄関口の堺明神峠があったのは山田郷の谷川(やかわ)村でした。多部田村は後に谷川村から分村した新しい村でした。

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石川 幸二 2021-04-18 @ 02:24:21

古代に陸奥への玄関口である境の明神峠のあった山田郷の多部田村をどんどん紹介して頂ければ幸いです。

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篠原吉則 2021-01-24 @ 13:56:53

千年村プロジェクト・メンバー中谷礼仁様

2017年のシンポジウムに参加させていただいた久喜市観光ボランティアガイド会の篠原吉則といいます。
千年村のHPの地図には久喜市の中川沿い、栗橋町新井地区、または、鷲宮町八浦が千年村比定地となっております。
ここが対象地となった文献等がありましたらご教授ください。久喜市の活性化・まちおこしのため会員への周知を進めていきたいしたいと思っています。何卒宜しくお願い致します。                         久喜市観光ボランティアガイド会 篠原吉則

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中谷礼仁 2021-03-23 @ 08:53:30

ご連絡が大変遅れました。
〈千年村〉候補地の比定地根拠ですが、それぞれの村落に専用のページがあります。該当の村落をクリックしていただくと辿り着けます。そのページの地図の下に比定根拠と出典が書かれているはずです。ご確認ください。

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FOS 2020-10-22 @ 04:18:10

福岡県内の比定地について

「糟屋郡池田郷」のドットが北九州市八幡西区に落ちていますが、ここは遠賀郡です。引用する解説文を間違えています。

「企救郡長野郷」のドットは列挙されている地名の南端で、しかも近世の干拓地です。列挙されているエリアの中央あたりか、遺称地とみられる北九州市小倉南区長野1丁目などが適当かと思われます。

「京都郡諫山郷」もエリアの端です。遺称地は大字ではありませんが、諌山小学校などに残っています。

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中谷礼仁 2021-03-23 @ 09:33:27

何回もご提案いただきありがとうございます。アップデートは年に二回ぐらいでまとめて行いますので、少しお時間をください。また、候補地についての分析、文責主体の明確化のため、今後情報提供者様に提供いただく個人情報についてのレギュレーションを追加する可能性が出てきましたので、その際はご協力をよろしくお願いします。

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FOS 2020-08-19 @ 04:13:06

『基山町史』より抜粋です。

基肄郡山田郷...「田代から神辺町にかけての大木川左岸」
基肄郡基肄郷...「近年は、鳥栖市と基山町の境に広がる八ツ並丘陵が、郡家の候補地として有力になってきたので、その付近に比定するべきであろう。すなわち、鳥栖市の今町から基山町園部の南東部に相当する。」
基肄郡川上郷...「秋光川上流の基山町園部の西部に比定されよう。」

養父郡養父郷...「郡家所在郷と考えられるが、養父郡家は、鳥栖市蔵上町から養父町付近に比定されるので、このあたりが養父郷であろう。」
養父郡鳥栖郷...「遺称地名として、鳥栖市本鳥栖町がある。」

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web担当 石川 2020-09-05 @ 06:18:17

FOSさま、

当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度FOS様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。
なお、基肄郡基肄郷に関しましては、千年村プロジェクトの比定作業において既にプロット済みだったため、コメント欄に情報を追記させていただきました。
情報提供者としてFOS様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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FOS 2020-08-14 @ 07:16:22

豊後国国東郡について
ネット公開されている渡辺澄夫氏「豊後国東郷と諸富名について」に佐藤四信氏の説が紹介されています。

阿岐郷…旧安岐町(国東市)など
武蔵郷…旧武蔵町(国東市)など
国東郷…旧国東町(国東市)など
伊美郷…旧国見町(国東市)など
来縄郷…旧高田町(豊後高田市)など
田染郷…旧田染村(豊後高田市)

国東半島はよく地名が残っている地域のようです。

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web担当 石川 2020-09-05 @ 06:00:17

FOSさま、

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度FOS様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。情報提供者としてFOS様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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さがみっこ 2020-08-13 @ 11:18:05

高座郡塩田郷について
角川日本地名大辞典では、
『平安期に見える郷名「和名抄」相模国高座【たかくら】郡十四郷の1つ高山寺本では「之保太」,東急本は「之保多」と記す「新編相模」によると,江戸期の田名村の小名に塩田があることから,これを当郷の遺名であると伝えており,現在の相模原市田名の付近に比定しているまた「地名辞書」もこの説をとっているしかし「大日本国誌」では,塩田の地は美濃郷に属し,当郷に相当するのは「大谷の辺」として,田名説を否定しているまた「相模原市史1」は当郷名の由来について,相模川沿いの山峡地帯に塩山・塩尻・塩売り窪などの地名があることから,塩をつくった田ではなく,海辺地帯より運ばれてきた塩と交換するための稲作をした田であると述べ,相模川沿いの田名・大島・相原などの一帯としている現在の相模原市内に比定されるが,詳細は不明』
となっているものの、海老名市の大谷の項目では塩田郷について触れておらず、現在刊行されている「県史14 神奈川県の歴史(山川出版社)」では、相模原市中央区田名塩田辺りを比定地としています。
なお、大字田名小字塩田は、現在では住居表示が行われ、田名塩田1〜4丁目になっております。
またこの地域は、田名向原遺跡、田名塩田遺跡等があり、旧石器時代以降各時代の住居跡等の遺跡があり、現在の住所では、隣接する当麻地区になるものの、当麻東原古墳と呼ばれる古墳がある地域であります。

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web担当 石川 2020-09-05 @ 05:57:25

さがみっこさま、

この度は当ページに情報をお寄せいただきありがとうございます。
この度さがみっこ様からご指摘いただいた情報に基づき、新たに一般提供情報として地図にプロットさせていただき公表いたしました。
代表点としては、『角川日本地名大辞典』の記載から相模原市田名の付近をプロットさせていただきました。
情報提供者としてさがみっこ様のお名前を併記させていただきますが、問題がございましたらご返信ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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