高座郡塩田郷について 角川日本地名大辞典では、 『平安期に見える郷名「和名抄」相模国高座【たかくら】郡十四郷の1つ高山寺本では「之保太」,東急本は「之保多」と記す「新編相模」によると,江戸期の田名村の小名に塩田があることから,これを当郷の遺名であると伝えており,現在の相模原市田名の付近に比定しているまた「地名辞書」もこの説をとっているしかし「大日本国誌」では,塩田の地は美濃郷に属し,当郷に相当するのは「大谷の辺」として,田名説を否定しているまた「相模原市史1」は当郷名の由来について,相模川沿いの山峡地帯に塩山・塩尻・塩売り窪などの地名があることから,塩をつくった田ではなく,海辺地帯より運ばれてきた塩と交換するための稲作をした田であると述べ,相模川沿いの田名・大島・相原などの一帯としている現在の相模原市内に比定されるが,詳細は不明』 となっているものの、海老名市の大谷の項目では塩田郷について触れておらず、現在刊行されている「県史14 神奈川県の歴史(山川出版社)」では、相模原市中央区田名塩田辺りを比定地としています。 なお、大字田名小字塩田は、現在では住居表示が行われ、田名塩田1〜4丁目になっております。 またこの地域は、田名向原遺跡、田名塩田遺跡等があり、旧石器時代以降各時代の住居跡等の遺跡があり、現在の住所では、隣接する当麻地区になるものの、当麻東原古墳と呼ばれる古墳がある地域であります。
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