地図をみると、肥前国のうち長崎県部分も比定地が少なかったので、確認してみました。
『角川日本地名大事典』より
松浦郡長野村…「現在の宇久町小浜郷長野が遺称地である」(合併後、佐世保市宇久町小浜) 松浦郡旻楽埼…「現在の三井楽【みいらく】町内に比定される」(現在五島市) 松浦郡生属…遣唐使船着岸、牧(平戸市生月町) 松浦郡那留浦…遣唐使船寄港地(五島市奈留町) 松浦郡志式島…「平戸市志々岐が遺称地であり」(平戸市志々伎町) 松浦郡庇羅郷…平戸市 高来郡神代郷…「現在の国見町神代が遺称地である」(雲仙市国見町神代) 高来郡伊古…「伊古は周辺の伊福・大河などとともに宇佐宮領であった」(雲仙市瑞穂西郷) 高来郡伊福…同上(雲仙市瑞穂町伊福) 高来郡大河…同上(長崎県雲仙市瑞穂町伊福甲) 高来郡肥最埼…「当地には警固所が設けられていた」ただし村かは不明(長崎市脇岬町) 彼杵郡彼杵郷…諸説あるが東彼杵町付近は一定 彼杵郡平敷…「長崎市浦上町に比定される」ただし石材の産地名、村かは不明
『日本歴史地名大系』合蚕田浦の項より 松浦郡川原浦…「また遣唐使船は当停や川原浦(現岐宿町)から出航し」(五島市岐宿町川原)
彼杵郡速来村…「肥前国風土記」彼杵郡条(佐世保市早岐2丁目の早岐神社が別称「速来宮」)
『新編大村市史』より 彼杵郡大村郷…中心地は乾馬場、諏訪、武部(大村市乾馬場町、諏訪、武部町)
倭名類聚抄記載の郷の比定は必ずしも多くはないのですが、遣唐使関係で浦の名が残っています。
新型コロナウイルスの関係でこのような研究活動もままならない状況かと思います。どうぞご自愛ください。
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