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佐藤 2025-04-12 @ 08:47:40

長野県佐久市の「伴野庄」と「青沼郷」の比定地について,提案です。

1.「伴野庄」について
佐久市臼田を代表点としていますが,佐久市野沢が適切ではないかと考えます。

その根拠ですが,まず,伴野庄地頭の伴野氏が野沢に居館(長野県佐久市野沢110-5/伴野城跡)を置いています。また,建武2年(1335)の「伴野庄年貢注文案」によれば,庄内では「野沢郷」が最も貫高が大きくなっています(以上,『日本歴史地名体系』108-109,134-135頁参照)。地形的にも,伴野庄域(佐久郡の千曲川西岸)においては,野沢周辺がもっともひらけた場所です。

これらの理由から,伴野庄の中心地は佐久市野沢とみるべきで,プロットする地点としては伴野城跡が適していると思います。

また,伴野庄のページでは,「明治村字名」として「臼田・高柳・原・野沢」が挙げられていますが,伴野庄は現在の南佐久郡南牧村平沢から佐久市春日に及んだ広大な地域ですので(『角川日本地名大辞典』,『日本歴史地名体系』参照),挙げるべき大字が明らかに不足しています。

あるいは,伴野庄の対岸で同じく広い庄域を持った大井庄が「岩村田」だけを挙げていることに準じるなら,伴野庄もその中心地である大字「野沢」と「原」を挙げるだけで十分だと思います。

2.「青沼郷」について
比定できなかった郷に分類されていますが,佐久市下越およびその周辺とする有力説があります。

『長野県町村誌』(長野県国史編輯局編,1884)の「下越村」(佐久市下越)の項に,里老の話として,かつて同村周辺を「青沼の里」といい,長慶寺(佐久市下越497)の南にその「青沼」(別名「蓮葉の池」)があった旨の記述があります。この池は,現存しないものの,同書発刊当時は40坪ほど残っていたとあり,実在したようです。(デジタルアーカイブ版(https://adeac.jp/shinshu-chiiki/viewer/mp020000000/2/,1178-1179頁)から閲覧できます。)

これを踏まえて,『日本歴史地名体系』は,青沼郷の比定地を現在の佐久市平賀から田口,入沢にわたる地域としています(102,104頁)。平賀から入沢まで含めたのは,鎌倉時代の平賀郷に相当する郷名が『和名抄』に見えないこと,その平賀郷に「青間」(青沼?)が含まれていたこと(109頁,「守矢文書」嘉暦4年),下越の南に「三条」,「十日町」などの大きな集落らしい地名(ともに佐久市入沢)が残ることを考慮したものと思われます。いずれにせよ,プロットする地点は下越の長慶寺付近が適当ではないかと思います。

以上,情報更新の参考にしていただけますと幸いです。

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