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第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―

イベントは終了しました。こちらから開催レポートをご覧いただけます。


目次

第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―

日時

2023年3月5日(日) 13:00-18:00

場所

オンライン開催

主催

千年村プロジェクト

趣旨

今年の千年村大会は、『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス刊)の著者にして、YouTube「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」を運営する吉川祐介氏をお招きして、限界ニュータウンとは何かについてお話しいただきます。また、限界ニュータウンを生み出した背景や事情、それらを乗り越える視点について、〈千年村〉の視点も交えて議論します。

講演①では、吉川祐介氏に限界ニュータウンとはなにか、そこで暮らすこと、それを活用することなどについてご講演いただきます。続く講演②では、限界ニュータウンを〈千年村〉としてどう受け止めるべきかを、千年村プロジェクトの関係者より報告します。パネルディスカッションでは、本大会に先立ち実施された千葉県横芝光町の限界ニュータウン&千年村調査について報告したうえで、限界ニュータウンのこれからをどう考えるか、日埜直彦氏(日埜建築設計事務所主宰)のモデレーションにより議論します。


プログラム

第一部:講演会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―

司会:木下剛(千葉大学)

13:00-13:10 千年村プロジェクトについて・趣旨説明:木下剛

13:10-14:00 講演① URBANSPRAWL 限界ニュータウン探訪記:吉川祐介

14:00-14:30 講演② 限界ニュータウンとどう向き合うか?

  • 千年村と限界集落:高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)、口石直道(早稲田大学)
  • 千年村と近代の開発:近藤真(株式会社Woven Planet)

14:30-14:40 休憩

14:40-16:00 パネルディスカッション

話題提供 千葉県横芝光町の限界ニュータウンと千年村調査報告:
中谷礼仁(早稲田大学)、高橋大樹
ディスカッション 限界ニュータウンのこれから:講演者+話題提供者
モデレーター:日埜直彦(日埜建築設計事務所)

16:00-16:15 休憩

第二部 千年村交流会

司会:土居浩(ものつくり大学)

16:15-16:20 趣旨説明:土居浩

16:20-17:15 活動報告

(1) 麻生(茨城県行方市麻生)
(2) 山田井(三重県津市大里睦合町山田井)
(3) 岸(東京都武蔵村山市岸)
(4) 2021年度千年村疾走調査の成果:斎藤拓(早稲田大学)+学生班
(5) 千年村トレーニングキャンプ2022:鈴木俊介(慶應義塾大学)+学生班

17:15-17:55 意見交換

17:55-18:00 閉会挨拶:福島加津也(東京都市大学)


開催レポート

〈記録担当〉
第一部 早稲田大学 二上、牧野、呉
第二部 東京大学 吉田、慶應義塾大学 鈴木、梁

プログラム(リンクから該当の項目に移動します)

第一部:講演会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―


第二部:千年村交流会


第一部:講演会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―

司会:木下剛(千葉大学)


13:00-13:10

千年村プロジェクトについて・趣旨説明

木下剛(千葉大学)

千年村プロジェクト(以下、千年村PJ)の設立の経緯は東日本大震災。早稲田大学で防災を研究している長谷見先生から、壊れた街ではなく壊れなかった地域への着目すべきだとの助言を受け発足しました。当初は自主的に行っていた認証活動でしたが、2017年山田井、2019年岸から認証依頼がくるようになりました。

〈第一部講演会の趣旨〉
千年村は限界集落化しないのではないかという仮説が千年村PJにはありました。それに対してまさに限界化した住宅地、限界ニュータウンとは何かという基調講演をいただきます。我々千年村PJが限界ニュータウンに興味を持ったきっかけの一つは、千年村の候補地の中にも限界ニュータウンが存在するという事実でした。これを受けて、千年村というものは本当に限界化しないのか?ということを高橋さん、口石さんよりお話頂きます。続く近藤さんからは千年村が生存をかけて土地を売ったり開発したりする際、どういった土地が対象となるのかをお話しいただきます。そして、千葉県横芝光町の調査の結果の報告、日埜さまのモデレーターによるディスカッションを行います。

Taikai7 fig1.png
図:第1部講演会の趣旨(木下PPTより)


13:10-14:00

講演①:URBANSPRAWL 限界ニュータウン探訪記

吉川祐介


限界ニュータウン、著書、動画を運営しています。千葉県の限界ニュータウンを紹介する活動もしています。
「限界ニュータウン」にはっきりとした定義はありません。限界集落を語源とした言葉ではありますが、限界という語感、イメージ前提で使っています。


限界ニュータウン、限界分譲地が生まれた背景として、戦後、都市に人口が集中する過程で、住宅需要が増加したこと。茨城、千葉に官民共同で開発されたニュータウンが増加したことが挙げられます。
60年代半ばごろから宅地開発が進みました。宅地そのものが不足していた時代です。不動産市場も成熟していませんでした。なんでも売れた時代であり、買おうと思っても買えない時代でした。
例えば多摩ニュータウンは、抽選で当選したら購入できます。
そうすると、転売して利益をあげようという考えが出てきました。土地そのものが、投資目的になった60年代後半のことです。通常の需要に加えて、投資目的も相まって売り手市場となり、高度成長期からバブル期の地価の上昇に繋がっていきました。
投機目的で開発された分譲地は、地元の人ではなく、東京、神奈川在住の人をターゲットにしていましたが、どう考えても都内に通える立地ではありません。一般の住宅広告に紛れていましたが、実際には投機商品です。一種の貯蓄替わりで、実際に購入した人が住むわけではないことは、販売者側もわかっていたと思います。訪問営業も多く行われていました。
今の土地投資は、資産家が行うというイメージですが、当時は資産家ではなく一般的なサラリーマン、商店主のような人が貯蓄がわりに購入していました。庶民でも飛びつくような投資案件が、株ではなく土地だったのです。


今の土地投資は、資産家が行うというイメージですが、当時は資産家ではなく一般的なサラリーマン、商店主のような人が貯蓄がわりに購入していました。庶民でも飛びつくような投資案件が、株ではなく土地だったのです。
土地はたくさん買われましたが、購入した人は都市部在住の人で、更地のまま保有していました。購入の流れは一旦失速しましたが、土地自体の価値は下がっていなかったため更地のまま放置され続けたのです。当時の新聞でも、投機型分譲地が放置されていることが報道されていましたが、社会的に広く問題視されているわけではありませんでした。


大きな開発ブームは70年代初頭。70年代後半、80年代初頭は落ち着いてはいましたが、土地の価値が下がったわけではありませんでした。

80年代後半、バブルの到来により、土地の値段が高騰します。リゾート開発ブームもこれを後押ししました。
ここで、千葉県の限界分譲地の一番の問題、投機用に購入された土地が実際に使われてしまうという事態が起きてしまったのです。
土地の分譲は70年代ごろから行われていましたが、あまりに地価が高くなりすぎてこういうところにしか家を建てられない人が現れ、80年代後半から90年代に家が建つようになったのです。
都内だけでなく、外縁部の郊外でも地価の高騰が起きていました。千葉市内に勤務している人でも、千葉市内に家を買うことは困難になります。そのため、さらに郊外の古い投機型分譲地に住むようになったわけですが、それだけでは70年代の大量に分譲された土地は埋まりませんでした。
この投機型分譲地があるのは財政規模の小さな自治体ばかりです。特に受け入れ態勢も整っていませんでした。小さな町の中心部から離れている山間部に小規模な住宅地が乱立し、自治体はインフラ整備、教育施設の整備に追われることになります。八街市、富里市、山武市などです。新学期になるたびに、転校生が来ます。教室が足りなくなり、体育館で授業を受けさせられる児童も出てきました。山武市は学校も新しく建てましたが、20年あまりで閉校しています。急な人口増加の対応に追われたわけです。

90年代後半、こういった分譲地の住宅が次第に使われなくなってきます。
当時購入した金額よりかなり安い値段で売らなくければならない状況となりました。しかも、持ち主は高齢となり、生活不便な僻地の住宅地で暮らし続けることができなくなり、もう放っておくしかないという状況になったのです。
売ればいいじゃないかと思うかもしれませんが、解体して更地にして売るということがそもそも通用しません。更地に希少価値が全くないからです。全体としては圧倒的に、更地が多いのです。解体費用が上乗せされた更地など需要がないのです。解体費用より安い更地がすでに売られているのですから。地価が下がりすぎて家を売る理由がないというのが、90年代後半から2000年代です。
千葉県多古町のある分譲地では、50区画に分譲されたうち、10区画程度しか人が住んでいません。分譲地の住環境そのものが荒れ始めていました。千年村は地域の繋がりが濃密で、地域を綺麗に整えようという動きがありますが、限界分譲地は土地所有者が都市部在住であるため、自分の土地を見に来ようともしません。住んでいる人も、ずっと住んでいるわけではなくせいぜい20~30年です。買う時も、手放す時もあっけない。隣に住んでいる人の顔もわからないような地域では、維持しようというプレッシャーがないに等しい。手放した者勝ちというような状況なわけです。
家以上に売りにくいのが更地なんです。売ってしまったら、損が確定します。今後価格が上がる可能性は低いが、売らなければ損は確定しない。よって売る決断ができない。だから放置するのです。

90年代~2010年くらいまで、ほとんど家の数は増えることがなく、限界分譲地の荒廃は続いていきました。
しかし、現在まで一方通行で荒廃が続いているわけではありません。限界分譲地でも投資ブームがきています。東京の物件が高くなっていて、不動産投資家は今まで買っていた物件を買えなくなり、地価が安い物件が脚光を浴びるようになります。80年代後半~90年代半ばに建てられた物件が手放されて、200〜300万という安価で市場に放出されるようにまります。2010年後半のことで、私がブログを始めた時期です。以前は長期間売れ残っていた200万、300万の物件が、今は広告が出るたびに即売れるようになっています。しかし、居住用ではなく投資家が賃貸物件として運用するケースが目立ちます。


ここには二つの問題があります。
まず、賃貸物件に住んでいる住民はその周りの環境をあまり考慮しない人が多いということです。千年村であれば、この土地は代々守ってきた場所であるという自覚がありますが、賃貸住宅にはありません。いずれ退去することを見込んで借りますので。自宅さえ住めればよくて、周りの環境を維持することに気を回す人は多くないです。空き家よりは貸家の方がいいとは思いますが、貸家ばかりが増えるのは問題です。
2つ目は、その貸家が実需に基づいているか?ということです。売買が繰り返されているだけで、15年くらい入居者がいない貸家もあり、これでは70年代の土地投機と変わりません。市場を見るだけでは判断ができなくなっているのです。宅地需要が高かったバブルの時でさえ需要がなかった住宅地なのに、今また市場で売られたところで埋まるのか?70年代を繰り返しているだけではないか?まともに住宅として機能しているのか?とても怪しいです。単に土地が荒れているだけでなく、実需と投機需要が入り混じっているのです。


〈吉川さんはなぜ限界分譲地に住んでいるのか〉
まずは家の安さ。一軒家でも家賃5、6万で住めるからです。
都会は好きではなかったが、仕事の都合上仕方なく住んでいました。結婚するにあたって、夫婦ともに地方出身であったこともあって、不便であることを承知の上で郊外の住宅地を選びました。隣の家との距離が離れているのが好きなんです。そこには様々な活用の選択肢があり、自分用スペースの拡張が容易です。市街地からは遠く、不動産市場に乗ることはないと思うが、趣味用としてはいいのではないか。値段が安く、一般の住宅地では認められない、自分のスペースの拡張が容易な住宅といえます。そんな住宅地の選択肢があっても良いのではないか?そう思ったのが、ブログを始めた動機です。限界分譲地を買い、利用した当事者の情報が圧倒的に不足していました。ブログをその情報を得る場所にできたらと思ったのです。分譲地全ての再生は無理ですが、一部は使えばいい。使えないなら、市場から退場してもらえばいい。そう思ったのです。


14:00-14:30

講演②:限界ニュータウンとどう向き合うか?

千年村と限界集落:高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)、口石直道(早稲田大学)
千年村と近代の開発:近藤真(株式会社Woven Planet)

千年村と限界集落

高橋大樹

  • 千葉県の千年村候補地に比定される254大字と、限界集落がある26大字を対象としてその重複状況を調べた結果、千年村大字と限界集落大字は重ならなかった。
  • 千年村候補地は大地と丘陵地の際に立地しているのに対して、限界集落は河川上流部の山地への立地が多くなっている。
  • 限界集落は、千年村候補地など古い集落の成立以降に、人口増など、土地が足りなくなった際に上流域や台地上位面などに集落がスプロールしていった結果と考えられる。したがって千年村よりも生産力が劣るとみられる。
  • 利根川沿いの限界集落は、千年村に比べて面積が狭い。
  • 南房総には、千年村と限界集落が隣接している箇所もあるが、後者のほうが生産条件に劣り交通も不便な立地と推測される。


口石直道

  • 茨城県における千年村候補地と限界集落の重複地域について研究した。
  • 集落を持続させる重要な要因を明らかにしようとした。
  • 1995年時点の準限界集落は2020年時点で限界集落化。よって準限界集落も限界集落として扱った。
  • 茨城県では、県北の山麓地域・県南の水郷地域で千年村大字と限界集落の重複が確認された。
  • 千年村候補地の持続の要因を環境・地域経営・交通の三要素から分析した結果、恵まれた水環境、舟運至便な交通条件、そのような交通条件に依存した霞ヶ浦と利根川間の沖積低地、北浦の沿岸の洪積台地での様々な生業などがあげられた。
  • しかし舟運が近代以降、陸上交通に変化したことで、霞ヶ浦や利根川が逆に障害となったことが、千年村候補地と限界集落の重複の理由と考えられる。
  • 水郷地域では、環境は交通に強く影響を及ぼし、交通は地域経営に強く影響を及ぼすことから、集落の構成要因や持続可能性と深く関わっている。


木下剛
千葉県では千年村候補地と限界集落は重複しなかったが、茨城県では重複する箇所もあったということです。水上交通から陸上交通への変化という、ダイナミックな変化により千年村も限界集落化することもあるという結果です。


千年村と近代の開発

近藤真

  • 千葉県の印旛地域における千年村候補地の大字422件を研究対象とした。
  • 現在の市街化区域と市街化調整区域の両方の区域にまたがる大字に着目し、大字の機能が現在でも引き継がれているかを検証した。
  • 現地調査の結果、近代における開発は農地への影響が少ない場所(使い道が少ない山林や効率の悪い農地)で行われていること、大字内の都市所有を保持しつつ、生産を拡大するために大字外の土地を取得したこと、農地の維持管理は集落で協働で行われてきたことがわかった。
  • 以上より、大字を単位とする土地利用や地域経営の意思決定の仕組みが存在していたことが確認された。
  • 大字内における近代的開発は、比較的生産性の低い土地を開発し農地を維持したり、大字を分離して共同体を維持したりするなど、いくつかのパターンがある。
  • その土地に住み、特性を把握し、土地の所有と管理が重なり合う状態が維持されることが農地・集落維持には大事なのではないか。


木下剛
千年村候補地の大字のうち、利用価値が相対的に低いところが選択されて開発用地として開放されていった(所有と管理の対象ではなくなる)というまとめができるでしょうか。


14:40-16:00

パネルディスカッション

話題提供 千葉県横芝光町の限界ニュータウンと千年村調査報告:中谷礼仁(早稲田大学)、高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)
ディスカッション 限界ニュータウンのこれから
登壇:講演者+話題提供者
モデレーター:日埜直彦(日埜建築設計事務所)

話題提供 千葉県横芝光町の限界ニュータウンと千年村調査報告

高橋大樹

  • 栗山川沿いは地形の高低差があり、限界分譲地はその際部の微高地に位置しているため、居住環境としては悪くはない。
  • 限界分譲地は旧集落からは距離がある位置に立地しており、従前は山林だったところが多く、1970年代以降に土地売買、宅地開発が行われた。
  • 戸建住宅の建設は、1980年代後半から90年代初頭にかけて始まった。
  • 山林が多かった理由は地目変更をせずに、宅地に転用できるためかと思われる。
  • 古来より、栗山川沿いは起伏に富む地形や水害等の理由から集落が形成されず、薪炭林や水害防備林として機能していたことが限界分譲地への転用につながった可能性がある。
  • 限界ニュータウンは古い集落から外れた山林に位置している傾向が見られた。


中谷礼仁
吉川さんにご登壇いただいた理由は本が面白かったということが1つ。また、調査地であった横芝周辺は千年村候補地が多く、千年村と限界ニュータウンの間にどう関係があるか関心がありました。

横芝光町の調査では、元々川沿いの水田だったと思われる低地を、分譲地に変更しており、宅地の区画の小ささが目立ちました。郊外または郊外より外にあるにも関わらず、東京のミニ開発と同じくらいの敷地です。30坪くらいでしょうか。郊外に行けば、広々としていると思ったのに、都会の論理がそのまま地方に適応されています。

〈新しい動きについて〉

  • 元々低地だった場所に、新たにレンタルボックスのようなものが置かれている。
  • 宮川は、旧光町で最も集中的に乱開発が進められた一帯で大きめの限界分譲地。車があれば十分遊びに来られる場所で、趣味として使われているように思える家もあった。
  • 道端のブロックをみると、2つ3つの区画をまとめて買って、大きい家を建てている例もあった。
  • 区画をバスケットコートに転用するなど、自由度の高い宅地として利用され始めている。
  • 電信柱がずっと先まで立っているので、どこまで続いているかと奥に向かっていったら、一番奥に一つぽつんと住宅があるのを見つけた。新しい住宅であるように見えた。これも新たな動きの一つかもしれない。
  • ソーラーパネルが、元の宅地の区画と道路にまたがって設置されている例もあった。区画が所有されていなかったためにできた転用方法かもしれない。


ディスカッション 限界ニュータウンのこれから

日埜直彦
千年村が人間のコミュニティを長く支えてきた場所であるのに対して、ここで言う限界ニュータウンはきわめて対照的な場所です。千年村とは真逆の場所として限界ニュータウンを考えてみることで、まずは千年村の価値が再確認できるでしょう。そしてもしかしたら限界ニュータウンに潜んでいる可能性を浮かび上がらせることも出来るかもしれません。

限界分譲地は、なぜ放置されているのか。とりわけ戦後、東京の都市圏が大きくなる過程で郊外に向けて宅地化が進行し、都市の拡大が停滞した時に使われていない宅地が取り残されます。こういうことは多かれ少なかれどこでも起きたことです。ですが、横芝光町を見ていると、どうもポイントはそこではない。
まずなによりも、横芝光町の放棄された宅地は将来の地価上昇を見込んで宅地を買う「財テク」の失敗の結果でした。値上がり利益を狙ったのか、早めに買わないと値上がりすると焦ったのか、ともかく思惑が外れたということです。しかしその背景には戦後の水田の減反政策の影響もあるようです。戦前から食料増産のため国策で水田整備が進められてきたわけですが、70年代以降、それが減反に転じました。水田がいらなくなった。農業政策の反転が持て余された農地を生みました。横芝光町の放棄された宅地は微高地であり砂地であり、かならずしも水田向きではありません。そうした場所が宅地化し、そして結局放棄されました。

千年村のような農村は第一次産業を生業とし、土地そのものが生存の基盤です。しかし都市郊外はそうではない。生業は郊外から離れた職場にあり、住宅地は生業から遊離しています。そうした新しい住宅地は旧集落と距離は近くてもコミュニティ的繫がりは希薄でした。そんなはざまで土地が単なる土地の面積、資産になってしまいます。
減反政策により農業の収入水準が低迷していたところ、農地を売ることで救われた農家もありました。そうして都市で働いている人の収入が地方の農家に再分配される格好になり、そうして地方が生き延びた現実もありました。その意味では限界ニュータウンを悪辣な不動産業のせいと片付けることはできません。もっと切実な問題でした。

むしろ限界分譲地はなぜ放置されるのか?ということに根本的な問題を見るべきなのかもしれません。土地→農地→宅地化→限界分譲地という、一方向の動きしかないことが問題の根本なのではないか?「資源としての土地」が「資産としての土地」になると、もう「資源」には戻れず、行き詰まってしまう。バブル崩壊後、地価下落により限界分譲地の価値は大きく下がりました。「その失敗を忘れたい。放置コストは低いし、損切りをして手間をかけてまで処分する気持ちにはならない。」という人は多い。そうして放置され、行き詰まってしまう。千年村は、土地が生活の場に近く、目の前に土地がある。今使われていない土地もいつか使うだろうというくらいの心持ちで放置されています。限界分譲地では、所有者は都心にいて、生活と土地が遠い。仮にその土地を使いたい人がいてもそこに所有者はいませんから、誰に言ったら良いか分からない。千年村は流動的に土地が動けますが、限界分譲地はそうではないわけです。

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図:資源としての土地から資産としての土地へ(日埜氏PPTより)

登記簿上で所有者不明土地は国土面積の22%にもなるそうです。面積が大きい山林で相続投機が不完全なことが多いから数値が大きく見えるわけですが、それにしても土地の所有者がわからないというのは実は日本中で一般的な問題です。活用可能性のある土地が放置されているのは社会的損失でもあります。

ところで、もともと自分の土地じゃなくてもその土地を占有し続けると一定の条件を満たせば所有権が認められる、時効取得の仕組みが所有権には存在します。これは、所有制度の落とし穴を救い、所有者不明土地の社会的損失を解決する歴史の叡智なのかもしれません。どうしたら行き詰まりから土地を解放し、土地を再び資産から資源に返すことができるか、その点から考えると千年村と限界分譲地を眺めてみると、見えてくることは多いように思います。

補註:時効取得について
民法(明治29年制定、令和3年改正)
第162条・1 20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。
ここで「物」は不動産と動産を指し土地を含む。土地所有権の移転は、通常、契約や相続など承継取得による。だが上記規定の「時効取得」は、たとえば海で類を釣った場合と同じ、原始取得として扱われる。欧米のスクォッター(squatter)に近い民法の規定。

※以降のディスカッションは割愛いたします。


第二部:千年村交流会

司会:土居浩(ものつくり大学)


16:15-16:20

趣旨説明

土居浩(ものつくり大学)
千年村の活動は冒頭でも話したが地域からも依頼が来て相互協力になってきた。今回は麻生、山田井、岸の報告がある。そのほか学生からの活動の報告が後半にある。


16:20-17:15

活動報告

(1) 麻生(茨城県行方市麻生) 報告:行方市役所
中谷礼仁
麻生については報告書を受領したので、それを共有して進めます。
麻生は行方市の中心地で、平成二十九年から認証千年村の第一号として認定しました。
その後、行方市と協定締結を合意したものの、コロナ禍で地域活動は停滞を余儀なくされました。
千年村は認証するときに管理人をおくこととしており、地域おこし協力隊員としてプロジェクトメンバーでもある松木隊員が中心となっていましたが、本人の退任に伴い、まだ明確な方針が定まっていない状況です。
今後、行方市は明確な活動方針と推進計画の策定(予算含む)、事業に関する人員の配置が必要です。
千年村プロジェクトの方からは行方市の協力を得て千年村マップを送るなどの活動をしています。


(2) 山田井(三重県津市大里睦合町山田井) 報告:辻武史(つじ農園)
毎年報告していますが、今回は新しい仲間も加わったのでその活動の紹介をしたい。私は山田井地区で農業の会社をしているが、デジタルと農業のハイブリッドの活動をされている萩さん(17)とここ1年くらい活動を共にしており、今回はその活動を本人から紹介してもらいます。

萩琉稀

  • 生物調査をしてわかる地域の魅力について発表。
  • Vtuber、アニメ、ゲーム、魚が好き。高校ではメタバース、VRを勉強中。
  • 亀山市を中心に水の環境の保全を行う「魚と子どものネットワーク」に所属。
  • 60〜70年前の街の姿が知りたいと思い、地元の方が多く集まる辻農園でバイトさせていただき、お話を聞いた。
  • 60〜70年前はモロコなど多くの魚がみられた。かつてはモロコがすごく人気だったが(ビンズケで捕獲)、現在はみられない。昔は塩焼きや佃煮が美味しく、重宝されたそう。
  • 当時は多種の魚類がみられたが、水路のコンクリート化、外来種の侵入によって魚の種が減った。またそれに伴い東睦合の文化や独特の魚の呼び名も知る人が減った。

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図:上記活動を紹介するスライド(萩氏PPTより)


辻武史 萩さんが所属するNPO法人「魚と子どものネットワーク」は、各地の川を中心に生き物調査、海岸清掃などを精力的に三重県中心に活動しています。辻農園としても自分たちの環境がどういう風に変わったか興味があり、昨年8月に調査をしました。


(3) 岸(東京都武蔵村山市岸) 報告:武蔵村山市岸自治会
岸地区は古くから稲作が行われ南へ新田開発がされ、生活の場を広げてきました。丘陵地はヤマ、大地はハラと呼ばれ、ヤマとハラの間で人々の生活と文化が育まれてきました。
今回は昨年11月に行われた千年村岸地区まち歩きツアーの振り返りと、モノレールの話題を提供します。


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図:岸地区の概要(岸地区PPTより)


〈千年村岸地区まち歩きツアー〉

  • 武蔵村山市観光まちづくり協会主催によるもので、令和4年11月3日に行われた。
  • 事前のリハーサル含め4回ほど打ち合わせを行い、当日の参加者は20人の定員を超える31人の参加となった。
  • 好天のもと、都立公園内の里山民家・岸田んぼの紹介をはじめ、須賀神社の神主による生い立ちの説明、禅昌寺では住職の講話などが行われた。
  • 岸自治会館では原田さんから岸の歴史と千年村について説明があったほか、千葉大の木下研究室による千年村認証の説明もいただき、武蔵村山や岸地区に関心が沸いたという意見をもらった。

〈千年村にモノレールがやってくる〉

  • 2030年の半ばにモノレールが武蔵村山市に開通するという話が進んでいる。まだ先の話だが、2035年に延伸開業予定である。
  • 2年前の千年村大会の時『やとのいえ』という八尾慶次さんの絵本を題材にしたお話がありました。その『やとのいえ』の最後のページにある多摩都市モノレールの起点は多摩丘陵ですが、それが私たちの武蔵村山市に来る。
  • つまり、『やとのいえ』によるつながりがまたできたと思っており、是非行ったり来たりができればと思う。

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図:千年村にモノレールがやってくる(岸地区PPTより)


(4) 2021年度千年村疾走調査の成果 報告:斎藤拓(早稲田大学)+学生班

  • 調査目的は、千年村候補地の多く分布する行方市を縦断的に調査しマップを作成すること。
  • 地形を三段階(ハマ・ナカ・デイ)に分けて観察した。
  • 各自発見したことをポスターに書き込み共有、アクソメ図を作成した。
  • 調査後、最終成果物の作成のため、下書きを早稲田大学で行った。
  • それを元にポスターを完成し行方市に納品した。ハマ・ナカ・デイの特徴を記述した。

(5) 千年村トレーニングキャンプ2022 報告:鈴木俊介(慶應義塾大学)+学生班

  • 11/12-13、慶應義塾大学SFCと遠藤地区で行われた。3つの流域にわかれて調査を行った。42名の学生と教員が参加した。
  • 1日目はレクチャーとデスクトップリサーチ、2日目はフィールドワークを行い「遠藤ガイド」を作成した。
  • 目的は、対象地を調査して、成果物を作り上げる感覚を養い、感受する、取り戻すことや、普段の研究では得られない、多角的にフィールドを見る目を養うこと。
  • また、コロナ禍により十分な千年村プロジェクトの活動(特に疾走調査)が行えないここ数年の状況を踏まえ、知識の基盤づくり(フィールドワークの基礎トレーニング)、大学間の連携の温度を高めることなどを意識した。
  • SFCの周辺を先入観なしにフィールドワークし、各班で分析、成果物(3つのエリアのガイドブック)を作成した。

補註:千年村トレーニングキャンプ2022の詳細はこちら


17:15-17:55

意見交換

※意見交換会は割愛いたします。


17:55-18:00

閉会挨拶

福島加津也(東京都市大学)
第一部では外から参加いただいた吉川さん、日埜に大変貴重なご講演を頂きました。第二部では認証千年村の近況のご報告をありがとうございます。もともと実際の現地の調査を主体としてきたが、コロナ禍で苦戦を強いられ、これまでの現地調査ができなくなっていました。一方でオンラインの経験を今後は宣伝などに活かしていきたい。リモートの経験をプラスにしながら、現地活動のエネルギーも復活させていきたいですね。
また千年村の社会活動として「千年村プロダクト」の話も進んでおり、多面的にプロジェクトを進めていければと思います。

辻武史
新しいプロダクトを計画しています。千年村の有機米を使ったパックごはんを考えています。国内の小売店、海外、裕福層で広げていきたいです。名前を「千年玄米」としています。

福島加津也
コロナ化によって休止したが、新しい活動の転換点として動けたら良いと思います。 これまでの活動を受け継ぎながら、新しい若手の出現や、食っていけるプロジェクトとしてなど新しい兆しにも期待していきたいで。そして限界ニュータウンの活動などにもいろいろとアウトリーチしていきたいです。


以上