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「島根郡方結郷(島根県)」の版間の差分

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「風土記抄」では片江浦とし、片江の中に僧都・玉江があり、さらに七類浦を加えていたとしている。「風土記考」ではさらに菅浦・稲積もこの郷内であるとする。「風土記参究」でも菅浦・北浦(稲積の通称)を含めた地区と比定している。今の美保関町の中部北岸がその地であった。(p207)
 
「風土記抄」では片江浦とし、片江の中に僧都・玉江があり、さらに七類浦を加えていたとしている。「風土記考」ではさらに菅浦・稲積もこの郷内であるとする。「風土記参究」でも菅浦・北浦(稲積の通称)を含めた地区と比定している。今の美保関町の中部北岸がその地であった。(p207)
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[[Category:千年村]]
 
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[[Category:『和名類聚抄』の郷名]]
 
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[[Category:島根県]]
 
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2016年1月14日 (木) 03:41時点における最新版


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緯度経度 35° 33' 40" 北, 133° 11' 20" 東

「風土記抄」では片江浦とし、片江の中に僧都・玉江があり、さらに七類浦を加えていたとしている。「風土記考」ではさらに菅浦・稲積もこの郷内であるとする。「風土記参究」でも菅浦・北浦(稲積の通称)を含めた地区と比定している。今の美保関町の中部北岸がその地であった。(p207)


『和名類聚抄』の郷名比定地について