「千年村行方市麻生イベント「自分の場所を話すvol.1」レポート」の版間の差分
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− | + | 行方市で初めてとなる千年村のイベントを無事に終えて、ひとまず安堵いたしました。目立ったエンターテイメント性の無いこのイベントに人が来るのだろうかと悩みながら当日を迎えましたが、地域の人から遠くは京都までたくさんの方にお目見えいただきました。<br/> | |
− | + | 「自分の場所を話す」と題名をつけたのは、その機会に恵まれることがあまりにも少ないからです。今回主催者である私は”外の人”と言われる立場にあります。幼少から転勤続きで、故郷という故郷もありません。そういった一種の地域の語り部となれるものへの憧れもありました。<br/> | |
− | + | また、地域の人々がわざわざ地元を話題の中心に据えることも実は機会がないのです。それこそ旅人のような人がその地に訪れ、実際の生活を追うような眼差しで求めない限り、本当の話は顔を出さないのです。慌ただしい毎日、通り去る人たちには観光地を勧めるか、「なにもねぇよ」と答えることになるのです。「自分の場所」を持っている人たちには、その場所が良くも悪くも移ろってきたことが、その人生とともにあります。人に歴史あれば、誰しもが地域の歴史の代弁者たり得ます。<br/> | |
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− | + | 地域の”慣習”が外部から評されたときに、それは”文化”となる、との考えが経済学にはあるそうです。千年村プロジェクトが行っていることはそんなことに近いかもしれません。生活の隅々まで商品が行き渡っている現代では、それを行っていくには切り口と、機会が必要です。今回は古写真というものを使ってそれを試しにおこないました。わかりきった気になっていることを改めて話すと、そのほころびに気づき、誰かがそれを補完する。そうやって時限的にもその場所に、かつての風景が立ち上がる匂いがしました。<br/> | |
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今後も手を変え品を変え、これからの暮らし方を考えながら機会をつくっていきます。今回私の私生活での関わりから来てくださった方々が多くいたことに感謝するとともに、その積み重ねの中に”地域”がかたち作られていくことを頭の片隅にそえておきたいと思います。<br/> | 今後も手を変え品を変え、これからの暮らし方を考えながら機会をつくっていきます。今回私の私生活での関わりから来てくださった方々が多くいたことに感謝するとともに、その積み重ねの中に”地域”がかたち作られていくことを頭の片隅にそえておきたいと思います。<br/> | ||
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2019年4月16日 (火) 05:23時点における版
3/16(土) に、千年村プロジェクトと行方市地域おこし協力隊による合同イベント「自分の場所を話すvol.1」が開催されました!
硬めの内容ながら約70人が訪れたこのイベントを順にレポートしていきます。
目次 |
【第1部】活動報告、千年村の説明
はじめに地域おこし協力隊松木の行方での活動が網羅的に紹介され、制作されたMAPが配布されました。松木が普段会話を交わしている方々もみえて、仕事と私生活の境界を崩していくような雰囲気も漂っていました。
千年村プロジェクトの中谷礼仁氏から千年村プロジェクトの考え方や、変遷の説明がありました。今回は認証地での講演であることからも、ロゴマークの積極的な利用なども提案されました。
【第2部】クロストーク:自分の場所を話す
このセッションでは地域に眠る昭和を中心とした古写真を投影しながら、地域の方々と対話を行なっていくという試みが行われました。
事前に、テーマごとにピックアップされた古写真を配布し、記憶の呼び起こしを行いながら、トークへと突入しました。
今回使用した古写真は教育委員会が保管していたもので、地元の歴史家である宮嵜和洋氏がデジタル化していたものを用いました。
口を開く方々が限られる地域の歴史という話題を解きほぐすことで、話がどんどんと湧き出て、地域内の話し合いの場に空気が近づきました。
例えば2枚目にある霞ヶ浦の湖上に干された網に関して、なぜそのような場所に干すのかという問いが発せられました。それを詳しく知る住人が大徳網に用いる巨大な網を干すためのスペースが陸地に確保できないため、湖上に干しているのではないかといった意見や、潮の満ち引きを利用して干すのと外すのを行なっていたのではないかといった議論が交わされました。話し合いは終着することなく断片的な記憶を皆で持ち寄り地域で行われていた様々な営みに思いをはせました。
行方市の鈴木市長も来場し、市長として地域史の重要性を語るとともに、一市民として古写真を楽しんでいました。
【第3部】自分の場所の調べ方
修士論文の題材として行方の集会所を研究していた杉山祐太郎氏から、集会所建築がなぜ地域に数多くあるのか、そのタイプについての紹介がありました。
ひとえに集会所といえど規模も違えば、お堂が併設しているなど、地域における役割はさまざまあることが指摘されました。
それらに関連して、千年村計画として千年村における「住宅モデル」「集会所モデル」が発表されました。
二つのモデルは同じ構造で、異なる平面計画が行われております。
模型や計画意図を受けて、住民の方々からは使い方や建物の仕組みについての質問があり、これからの地域を考えていく上での新鮮な話題の種となっておりました。
【会を終えて】
行方市で初めてとなる千年村のイベントを無事に終えて、ひとまず安堵いたしました。目立ったエンターテイメント性の無いこのイベントに人が来るのだろうかと悩みながら当日を迎えましたが、地域の人から遠くは京都までたくさんの方にお目見えいただきました。
「自分の場所を話す」と題名をつけたのは、その機会に恵まれることがあまりにも少ないからです。今回主催者である私は”外の人”と言われる立場にあります。幼少から転勤続きで、故郷という故郷もありません。そういった一種の地域の語り部となれるものへの憧れもありました。
また、地域の人々がわざわざ地元を話題の中心に据えることも実は機会がないのです。それこそ旅人のような人がその地に訪れ、実際の生活を追うような眼差しで求めない限り、本当の話は顔を出さないのです。慌ただしい毎日、通り去る人たちには観光地を勧めるか、「なにもねぇよ」と答えることになるのです。「自分の場所」を持っている人たちには、その場所が良くも悪くも移ろってきたことが、その人生とともにあります。人に歴史あれば、誰しもが地域の歴史の代弁者たり得ます。
地域の”慣習”が外部から評されたときに、それは”文化”となる、との考えが経済学にはあるそうです。千年村プロジェクトが行っていることはそんなことに近いかもしれません。生活の隅々まで商品が行き渡っている現代では、それを行っていくには切り口と、機会が必要です。今回は古写真というものを使ってそれを試しにおこないました。わかりきった気になっていることを改めて話すと、そのほころびに気づき、誰かがそれを補完する。そうやって時限的にもその場所に、かつての風景が立ち上がる匂いがしました。
今後も手を変え品を変え、これからの暮らし方を考えながら機会をつくっていきます。今回私の私生活での関わりから来てくださった方々が多くいたことに感謝するとともに、その積み重ねの中に”地域”がかたち作られていくことを頭の片隅にそえておきたいと思います。
(行方市地域おこし協力隊 松木直人)