「〈千年村〉を「環境」からみる」の版間の差分
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+ | 海水面の変化は主に「縄文海進」と「平安海進」の2つであり、縄文時代と平安時代に大規模な海水面の上昇が起こりました。現在の等高線で考えると、縄文海進では8m、平安海進では4mまで浸水していたと推定されます。そのため集落まで海が近くに迫っていたと考えられます。 | ||
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+ | 養老川の流路変遷の影響を受けているため、地質にも特徴が見られます。当地区の居住地域は養老川の氾濫によって運ばれた土砂によって構成された自然堤防上に立地していることがわかります。さらにこの自然堤防は微高地となっています。そのため、微高地上は集落が、その周辺の低地には水田や畑地といった生産地が立地しているといった微地形に応じた土地利用が行われていることがわかります。さらに、古くから続く神社(式内社)の島穴神社もその自然堤防上にあり、集落の機能の中心も微高地にあります。 | ||
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+ | 当地区は河川にも海にも近く、水産資源や水運、稲作に適した低湿地に恵まれていた反面、高潮による海水の養老川逆流や、大雨などによる河川の氾濫で生産地は被害を受けることがあり、常に水害の危険と隣り合わせにあったと考えられます。そのため、居住地域が立地している自然堤防によってつくりだされた微高地はこの集落の持続性に関係していると推察されます。 | ||
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+ | このように河川や地質・地形といった自然環境から千年村を捉えることで、それらが集落及び生産地の立地や構造にどのように影響し、集落が存続してきたのかを推察することができます。 | ||
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+ | <small>註1:「養老川の下流域に於ける流路の変遷」『上総市原』no2 p12-22 1978/03</small> |
2014年4月11日 (金) 03:20時点における最新版
〈千年村〉を「環境」からみる - 千葉県市原市島野地区を事例に
ここでは、千葉県市原市の島野地区を事例に、地形や河川といった「環境」から〈千年村〉をまなぶ事例を紹介します。
写真:千葉県市原市島野
当地区は東京湾に面しており、海水面の変化が激しかったために古代から現在にかけて、全く異なる景観、自然環境であったと推察できます。また近くを流れる養老川も、古代からその流路は変遷を遂げてきました。
海のそばに立地していた古代の島野
海水面の変化は主に「縄文海進」と「平安海進」の2つであり、縄文時代と平安時代に大規模な海水面の上昇が起こりました。現在の等高線で考えると、縄文海進では8m、平安海進では4mまで浸水していたと推定されます。そのため集落まで海が近くに迫っていたと考えられます。
川によってかたちづくられた集落
さらに、集落の立地は海水面の変化だけでなく、養老川の流路の変遷にも影響を受けていると考えられます。古代の養老川下流は、時代によってその流路を様々に変えてきました。流路変遷図(註1)を参照すると、当地区は一度もその流路にかぶっておらず、特に金川原区においては集落の外周を囲むようにして流路があることがわかります。
環境に基づく土地利用のありかた
図:島野地区地形ダイアグラム
養老川の流路変遷の影響を受けているため、地質にも特徴が見られます。当地区の居住地域は養老川の氾濫によって運ばれた土砂によって構成された自然堤防上に立地していることがわかります。さらにこの自然堤防は微高地となっています。そのため、微高地上は集落が、その周辺の低地には水田や畑地といった生産地が立地しているといった微地形に応じた土地利用が行われていることがわかります。さらに、古くから続く神社(式内社)の島穴神社もその自然堤防上にあり、集落の機能の中心も微高地にあります。
当地区は河川にも海にも近く、水産資源や水運、稲作に適した低湿地に恵まれていた反面、高潮による海水の養老川逆流や、大雨などによる河川の氾濫で生産地は被害を受けることがあり、常に水害の危険と隣り合わせにあったと考えられます。そのため、居住地域が立地している自然堤防によってつくりだされた微高地はこの集落の持続性に関係していると推察されます。
このように河川や地質・地形といった自然環境から千年村を捉えることで、それらが集落及び生産地の立地や構造にどのように影響し、集落が存続してきたのかを推察することができます。
註1:「養老川の下流域に於ける流路の変遷」『上総市原』no2 p12-22 1978/03