(
差分)
←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
地図を読み込み中...
{"minzoom":false,"mappingservice":"googlemaps3","type":"TERRAIN","zoom":14,"types":["ROADMAP","SATELLITE","HYBRID","TERRAIN"],"geoservice":"google","maxzoom":false,"width":"auto","height":"480px","centre":false,"title":"","label":"","icon":"\/mediawiki\/orange_circle.png","visitedicon":"","lines":[{"text":"","title":"","link":null,"strokeColor":"#FF0000","strokeOpacity":"1","strokeWeight":"2","pos":[{"lat":0,"lon":0},{"lat":0,"lon":0}]}],"polygons":[],"circles":[],"rectangles":[],"copycoords":false,"static":false,"wmsoverlay":"","layers":[],"controls":["pan","zoom","type","scale","streetview"],"zoomstyle":"DEFAULT","typestyle":"DEFAULT","autoinfowindows":false,"kml":[],"gkml":[],"fusiontables":[],"resizable":false,"tilt":0,"kmlrezoom":false,"poi":true,"imageoverlays":[],"markercluster":false,"searchmarkers":"","locations":[{"text":"","title":"","link":null,"lat":33.558833,"lon":133.532124,"alt":0,"address":"","icon":"\/mediawiki\/orange_circle.png","group":"","inlineLabel":"","visitedicon":"","radius":null}]}
緯度経度
|
33° 33' 32" 北, 133° 31' 56" 東
|
提供元:
お寄せいただいた情報:
きっと、高知城 =(おお)たかさかやま/高坂山周辺だと思われます。旧勢力をいなすために、山内家がこの地を選定して築城しました。
わが郷里高知では、他者を受け入れる風土なのですが、かなりファジーな部分もあり、「そこが○○なら、こっちはもうちょっと大きいから大○○」とか、敢えて同一文書中に同音の坂と阪などの混同を行ったり。かつて仕事で除籍原本 みだし帳などにも高坂(山)の地名を見ていたと思います。合併などにより、多くの地名が消されていました。御城の周囲北側以外は古い戸籍を辿れば辿るほど、役職や職業、出身地などにちなんだ~町と付く小字が多かったです。
また脱線してしまいますが、平山城である高知城の直ぐ北側は、湿地も多く、非常に閑散としており、化かす狸が出ると言われて程だったそうです。(20年前に60才の方から、だからお遣いで通り掛かるのが、怖かったと真剣に言われていました。)つまり、山際の秦泉寺などとは隔絶していた。
もう1つの幡多郡『鯨』ですが、鯨、魚/ウオ、ウヨ、イオなどが考えられ、(発音も私世代でも50音以上、つい使い分けています。)特に幡多には、政権を追われた方々の伝承も多いので、読み替えだったり、隠語である可能性もなきにしにあらずです。また、高知市側とは文化圏が違うのですが、例えば伊与(輿與)木(喜)、伊尾木(喜)など地名人名共によく混在、混用されています。
更新日:2016/07/06