移動: 案内, 検索

「但馬国朝来郡多々良岐荘(荘園)」の版間の差分

 
 
4行: 4行:
 
現在の朝来町東部、多々良岐川に沿う多々良岐谷の地域で、多々良岐ダムの建設で水没したが、古くは峠道を因幡に抜けた。(『講座日本荘園史』第8巻p.249)
 
現在の朝来町東部、多々良岐川に沿う多々良岐谷の地域で、多々良岐ダムの建設で水没したが、古くは峠道を因幡に抜けた。(『講座日本荘園史』第8巻p.249)
 
(『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)
 
(『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)
 +
 +
※[[「日本荘園データベース」の荘園比定地について]]
 +
 
[[Category:千年村]]
 
[[Category:千年村]]
 +
[[Category:荘園]]
 
[[Category:但馬国]]
 
[[Category:但馬国]]

2023年2月9日 (木) 11:08時点における最新版


地図を読み込み中...
緯度経度 35° 14' 33" 北, 134° 49' 13" 東

現在の朝来町東部、多々良岐川に沿う多々良岐谷の地域で、多々良岐ダムの建設で水没したが、古くは峠道を因幡に抜けた。(『講座日本荘園史』第8巻p.249) (『講座日本荘園史』に基づくプロットでは、現在の大字より広域に比定される荘園もプロットしています。具体的な比定地に関する記述がない場合、プロット地点はあくまで比定地の目安としてご検討ください。)

「日本荘園データベース」の荘園比定地について