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「那波郡委文郷(群馬県)」の版間の差分

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郷域について「地名辞書」は「今宮郷村是なり、樋越の東にして、韮塚の西北とす」とあり、「日本地理志料」は現在、伊勢崎市上之宮長にある倭文神社は「延喜式」神名帳に見る倭文神社のことで、当郡はこの倭文神社を中心とした一帯に比定する。(p460)
 
郷域について「地名辞書」は「今宮郷村是なり、樋越の東にして、韮塚の西北とす」とあり、「日本地理志料」は現在、伊勢崎市上之宮長にある倭文神社は「延喜式」神名帳に見る倭文神社のことで、当郡はこの倭文神社を中心とした一帯に比定する。(p460)
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※[[『和名類聚抄』の郷名比定地について]]
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[[Category:千年村]]
 
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[[Category:『和名類聚抄』の郷名]]
 
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[[Category:群馬県]]
 
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2016年1月14日 (木) 03:44時点における版


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緯度経度 36° 18' 40" 北, 139° 9' 5" 東

郷域について「地名辞書」は「今宮郷村是なり、樋越の東にして、韮塚の西北とす」とあり、「日本地理志料」は現在、伊勢崎市上之宮長にある倭文神社は「延喜式」神名帳に見る倭文神社のことで、当郡はこの倭文神社を中心とした一帯に比定する。(p460)


『和名類聚抄』の郷名比定地について