佐渡市羽茂本郷(新潟県) 2026登録済
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羽茂郡菅生郷(新潟県)および羽茂郡星越郷(新潟県)の比定地である佐渡市羽茂本郷は千年村に登録されました。(2026年2月27日申請)
| 緯度経度 | 37° 50' 55" 北, 138° 20' 2" 東 |
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登録千年村の情報
基本情報
登録千年村第6号
登録地域:新潟県佐渡市羽茂本郷
申請者:安江将輝
申請日:2026年2月27日
申請者と地域との関係:2025年10月に開催された千年村現地調査にてフィールドワークをした地域
集落・地域の詳細
◯環境
古代において、縄文海進により海は度津神社(星越郷内・羽茂川を挟んで北側に位置)のあたりまで入りこんでいた。その後、海水が次第に後退していく過程で現在のような沖積平野が形成されていったと考えられている[※1]。また、張弓神社(郷外・菅生郷直下に位置)のまわりの水田地帯から、5世紀頃の土師器と呼ばれる焼物が大量に出土したことから、古墳時代には平野部の小高い場所に人々が集まって村を作っていたことがわかる[※1]。さらに、大化の改新以降には、平野中央部の水田に条里制が施行されたことが確認されている。このことは、水田域が計画的に開発・利用される一方で、人々は洪水等の影響を避けるため、周辺の微高地に居住域を形成していたことを示している。[※1]。
中世の羽茂城落城以前、狭いが肥沃な羽茂平野によって脚光を浴びていたが、佐渡金山の開発によって純農村となった。土壌と地形も相まって食糧だけでなく、衣料や薬草、換金作物など多種多様な農業経営を行っていた。そのような農業経営の中で、しだいに「味噌」と「柿」が盛んに生産されるようになっていった。[※2]
菅生郷は、羽茂川中流域西岸に位置し、川沿いの沖積地から丘陵地帯へ移行する境界部の地域を指す。この地形的な高低差が基礎条件となり、平坦地に広大な水田が、台地の傾斜地に水害を避けた集落が形成されている。集落内には大規模な区画整理の跡が見られず、不整形な敷地の中に自家用と思われる農地がある様子を多数フィールドワークで観察できた。
また星越郷は、羽茂川中流域付近の自然堤防、扇状地、後背湿地からなる複合地形を持つ。集落は水はけの良い微高地(自然堤防・扇状地)に、水田は低湿地(後背湿地)に形成されており、地形と土地利用が密接に対応している。星越郷の集落は羽茂川を挟み南北で性質が異なる。南岸は古代集落から中世の城下町、近代の宿場町へと変遷した商業集落の形態を残し、北岸は鎮守の草刈神社を中心とした農村集落の形態をとどめていた。
さらに現代では、羽茂本郷は柿が名産である。もともと、在来種「十二が柿」が自生する適地であり、昭和初期に杉田清らが「八珍柿」を導入し、在来種を台木とした計画的な産地化を推進した[※3][※4]。当初、傾斜地を利用していたが、戦後には一部の水田からの転換も進み、現在の「おけさ柿」ブランド産地としての地位が確立された[※5]。調査中には宮本常一の詩が書かれた石碑(星越郷内・羽茂側脇)も発見された(図5参照)。
※1『羽茂町誌 古代中世の羽茂』 p.63
※2『羽茂町誌 近世の羽茂』 p.799-800
※3 https://www.city.sado.niigata.jp/site/bunkazai/5244.html
※4 https://sado-geopark.com/food/foodstuff/3240/
※5 https://sadomeshirun.com/seisansha/1124/
◯地域経営
環境項目より、菅生郷は平坦地を活かした稲作を主たる生業とし、現在も水田中心の農村景観を維持している。 一方星越郷は、地形特性を活かした経営の多角化が見られた。このように、環境の利用方法において異なる展開を見せる両郷であるが、草刈神社のお祭りでは両郷が共同していることがヒアリングで確認された。
◯交通
現在のマップを参照すると、星越郷内の羽茂川脇に短冊型をなす町家の痕跡が見える。[※6]これは、中世において、佐渡島の二大勢力の一つであった羽茂本間氏が郡衙跡地に築いた羽茂城の城下町として発生したものであり、羽茂城を要する星越郷が南佐渡の経済的な中心地であることがわかる[※6]。このような背景から、島内と島外を結ぶ港町・小木との連携があったことが伺える。
現代では、この旧街道と並行するように、新道が敷設され、この新道沿いにコメリなどのホームセンターや、ウェルシアなどのドラッグストアといったロードサイド型商業施設が建っており、農業収入だけでなく、新たな利益構造が生まれ、地主はもとは水田だった低平な敷地を、利便性の高い新しい幹線道路沿いの大型商業施設(ロードサイド店舗)の建設用地として転用し貸し出すことで収益を得ているとヒアリングにて伺った。
このことから、近代以降、自動車の普及に伴い新しい幹線道路が整備され、交通の軸が旧街道から新道へと移行したと考えられる。よって、地域商業の重心が旧城下町から新たな幹線道路沿いへと転換したといえるのではないだろうか。
※6 『羽茂町誌 古代中世の羽茂』 p.204-206
◯集落構造
羽茂本郷は羽茂川の度重なる氾濫によって、肥沃な土砂の運搬と堆積が繰り返され、豊かな土壌が形成された。[※7]そのため、羽茂本郷の集落構造は、この地域の軸である羽茂川から山側へ向かう中で様々な土地利用が展開されており、菅生郷と星越郷ではその様相が異なる。(図7 平面ダイアグラム・図8 断面ダイアグラム参照)
川に隣接する平野部は両郷共通して水田地帯となっているが、星越郷側では、羽茂川から山に向かって異なる時代区分が連続的に展開している点に特徴がある。川沿いの平野部には古代に起源を持つとされる集落が位置し、その背後には中世から近代にかけて形成された城下町および宿場町の痕跡である商住地区が続く。さらに山側へ進むと現代の交通網である幹線道路とロードサイド店舗が介入し、その奥の斜面林には近世に植えられた柿の木が栽培されており、その最上部には中世の羽茂城跡が鎮座する。この羽茂城跡の展望台からは、かつての城下町を見下ろすことができ、これらの地形に合わせた各時代ごとの土地の利用の痕跡が連続的に並んでおり、古代から現代に至る歴史のレイヤーがひとつの風景の中に共存している姿が見えた。
一方、対岸の菅生郷側では、水田地帯の奥の傾斜地に集落が形成されている。星越郷とは異なり、住居の隣に小規模農業空間が付随しており、稲作以外の果物や野菜が栽培されている様子が観察された。
このように、羽茂川を挟んで、商業的な広がりを持つ星越郷と、生活・農業に特化した菅生郷という対照的な断面構成が見て取れた。
※7 『羽茂町誌 古代中世の羽茂』 p.64-65
◯千年村としての根拠と評価
羽茂本郷は、〈千年村〉候補地マップに記載の羽茂郡星越郷および羽茂郡菅生郷の比定地である。また以上の文献および実見による情報から、星越郷は、羽茂川によって形成された自然堤防および扇状地という地形条件を基盤として成立し、その土地条件を活用しながら生業のあり方を変化させつつ存続してきた集落であることが確認できる。古代には羽茂川左岸の自然堤防上に居住域を構え、その背後の湿地を水田として利用することで、羽茂川の水利と微地形条件を生業の基盤としていた。その後、中世には郡衙跡地に築かれた羽茂城の成立にともない城下町として再編され、羽茂川流域の政治的拠点としての役割を担った。さらに近世には、羽茂川に沿った交通路に対応する宿場町として発展し、流域の交通を基盤とした生業が展開された。
しかし現代においては、かつて宿場町として形成された商店街の機能は大きく縮小し、その多くが利用されない状態となっていることが確認された。一方で、羽茂川によって形成された扇状地の傾斜地形は、近代以降、柿の生産の場として利用されており、また幹線道路沿いの土地は借地などを通じて新たな収入基盤として活用されている。このことは、かつて交通の結節点として機能した立地が、その機能の衰退にともない別の生活基盤へと転換されてきたことを示している。
また菅生郷は、壮大な変化を乗り越えてきた星越郷とは違い、曖昧な土地割りがされているなど古代からの風景が残っているように感じられた。これは変化の必要に駆られなかったからだと考えられる。城下町への発展や幹線道路の開設とその利用のしやすさから変化を強いられた平地地形の星越郷と違い、丘陵地に集落を構えた菅生郷は外部からの圧力が少なかったためではないだろうか。
このように羽茂本郷は、羽茂川によってもたらされた地形と立地を基盤としてきた集落である。とりわけ星越郷は、城下町、宿場町、そして果樹生産と土地利用へと、生業の基盤を段階的に移行させてきた集落である。羽茂川流域における政治・交通の拠点としての機能を担った後、それらの機能の衰退に応じて、扇状地の傾斜を活かした柿生産や沿道利用へと生業を再編している点は、羽茂川流域の環境条件に根ざしながら存続してきた星越郷の固有の変遷過程として理解することができる。
以上より、羽茂本郷は、羽茂川流域の環境と立地条件に応答しながら土地利用と生業を更新し続けてきた千年村として位置づけることができる。
◯地域のキャッチフレーズ
羽茂川の灯火から柿の灯火へと変化を重ねてきた集落
羽茂本郷は、羽茂川の流域環境と港を基盤として成立し、その後も水田耕作、さらに柿の生産や借地利用へと生業の重心を移しながら存続してきた集落である。『羽茂町史 古代中世の羽茂』において羽茂川が恵みの川として認識されていたこと[※8]からも、人々にとって羽茂川が生業と生活を支える根源的な存在であったことがうかがえる。ここで、かつて羽茂川の港にともる灯火が人々の生活を支える象徴であったと言い換えるならば、現在では柿の生産や沿道利用による収入が、集落の生活を支える新たな基盤としての灯火となっている。このように羽茂本郷は、羽茂川という自然的基盤に依拠しつつ、その時代ごとの社会的・経済的条件に応答しながら、生活基盤の象徴としての灯火を港(羽茂川)から柿へと更新してきた集落として位置づけることができる。以上より、上記のように名付けたい。今後においても、羽茂川の環境条件と地域に暮らす人々の営みとの関係のなかで、その時代に応じた新たな生業のかたちが見出され、それが羽茂本郷の生存を支える新たな灯火として現れていくことが期待される。
◯地域の写真
| 図1 星越郷の水田とロードサイド |
図2 おけさ柿のコンテナ |
| 図3 菅生郷を水田から見つめる |
図4 星越郷の柿農家 |
| 図5 宮本常一の石碑 |
図6 平面ダイアグラム |
| 図7 断面ダイアグラム |
図8 五万分一地形圖大正 2 年測図 |
