第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
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開催概要
第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
日時:2023年3月5日(日) 13時~18時
場所:Zoomを使ったオンライン開催(参加無料,定員100名)
主催:千年村プロジェクト
詳しくはこちらをご覧ください。
〈記録担当〉
第一部 早稲田大学 二上、牧野、呉
第二部 東京大学 吉田、慶應義塾大学 鈴木、梁
プログラム
第一部
以下、開催レポート(敬称略)
第一部:講演会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
司会:木下剛(千葉大学)
13:00-13:10
千年村プロジェクトについて・趣旨説明
木下剛(千葉大学)
千年村プロジェクトの設立の経緯は東日本大震災。早稲田大学で防災を研究している長谷見先生から、壊れた街ではなく壊れなかった地域への着目すべきだとの助言を受け発足。当初は自主的に行っていた認証活動だったが、2017年山田井、2019年岸から認証依頼がくるように。
<第一部講演会の趣旨>
千年村とは限界集落化しないのではないかという仮説が千年村PJにはあった。それに対してまさに限界化した住宅地、限界ニュータウンとは何かという基調講演を頂く。千年村というものは本当に限界化しないのか?ということを高橋さん、口石さんよりお話頂く。続く近藤さんからは千年村の生存をかけて土地を売ったり開発したりする際、どういった土地が対象となるのか、レクをして頂く。そして、千葉県横芝光町の調査の結果の報告、日埜さまのモデレーターによるディスカッションを行う。
[fig1]
13:10-14:00
講演① URBANSPRAWL 限界ニュータウン探訪記
吉川祐介
限界ニュータウン、著書、動画を運営。千葉県の限界ニュータウンを紹介する活動をしている。
限界ニュータウンにはっきりとした定義はない。限界集落を語源とした言葉ではある。限界という語感、イメージ前提で使われている。
限界ニュータウン、限界分譲地が生まれた背景。戦後、都市に人口が集中する過程で、住宅需要が増加。茨城、千葉に官民共同で開発されたニュータウンが増加。
60年代半ばごろから宅地開発が進んだ。宅地そのものが不足していた時代。不動産も成熟してなかった。なんでも売れた時代。買おうと思っても変えない時代。
例えば多摩ニュータウンは、抽選で当選したら購入できる。
そうすると、転売して利益をあげようという考えが出てきた。土地そのものが、投資目的になった60年代後半。通常の需要に加えて、投資目的も相まって売り手市場に、高度成長期からバブル期の地価の向上に繋がる。
そもそも地元の人をターゲットにしていない、東京、神奈川在住の人がターゲットだったが、どう考えても都内に通える立地ではない。一般の住宅広告に紛れて、実際には投機商品。一種の貯蓄替わり。実際に購入したひとが住むわけではないことは、販売者側もわかっていたと思う。訪問営業も多く行われていたのでは?
今の土地投資っていうと、資産家の行うもののイメージ。しかし、当時であれば資産家ではなく一般的なサラリーマン、商店主のような人が貯蓄がわりに購入していたケースだった。庶民でも飛びつくような投資案件が、株ではなく土地だった。
この動きがピークに達するのが70年代初頭。1975年頃を境に、一旦失速。
土地はたくさん買われたが、購入したの人は都市部在住の人。更地のまま保有していた。購入の流れは一旦失速したが、土地自体の価値は下がっていなかったため更地のまま放置され続けた。当時の新聞でも、投機型分譲地が放置されていることが報道されていたが問題視されているわけではなかった。
大きな開発ブームは70年代初頭。70年代後半、80年代初頭は落ち着いてはいたが、土地の価値が下がったわけではなかった。
80年代後半バブル到来、土地の値段が高騰する。リゾート開発ブームも後押し。
千葉県の限界分譲地の一番の問題、投機用に購入された土地が実際に使われてしまう事例が起きてしまった。
土地の分譲は70年代ごろから行われていたが、あまりに地価が高くなりすぎてこういうところにしか家を立てられない人が現れて、80年代後半から90年代に家が立つように。
都内だけでなく、外縁部の郊外でも地価の高騰が起きていた。千葉市内に勤務している人でも、千葉市内に家を買うことは困難に。そのため、さらに郊外の古い投機型分譲地に住むように。しかし、それだけでは70年代の大量に分譲された土地は埋まらなかった。
この投機型分譲地があるのは財政規模の小さな自治体ばかり。特に受け入れ態勢も整っていない。小さな町の中心部からも、離れている山間部に小規模な住宅地が乱立。インフラ整備、教育の整備に追われる。ヤチマタ市、トミサト市、サンム市。新学期になるたびに、転校生がくる。教室が足りなくて、体育館で授業。学校も新しく立てたが、20年あまりで閉校。急な人口増加の対応に追われる。
90年代後半、こういった分譲地の住宅が使われなくなってくる。
当時購入した金額よりかなり安い値段で売らなくてはいけない。持ち主、高齢化。もうほっとくしかない。
売ればいいじゃないかということより、解体して更地にして売ればいいじゃないかが通用しない。更地に希少価値が全くない。全体としては圧倒的に、更地が多い。解体費用が上乗せされた更地など需要がない。解体費用より更地がすでに売っている。地価が下がりすぎて家をうる理由がない、90年代後半から、00年代。
千葉県多古町では、50に分譲されたうち10程度しか人が住んでいない。分譲地の住環境そのものが荒れ始めていた。千年村は地域の繋がりが濃密であれば地域を綺麗に整えようという動きがあるが、限界分譲地は土地所有者が都市部在住であるため、この土地を見にこない。住んでいる人も、ずっと住んでいるわけではなくせいぜい20〜30年。買う時も、手放す時もあっけない。隣に住んでいる人の顔もわからないような地域では、維持しようというプレッシャーがないに等しい。手放した者勝ちのような状況。
家以上に売りにくいのは更地。売ってしまったら、損は確定。今後価格が上がる可能性は低いが、売らなければ損の確定はしない。よって売る決断ができない。だから放置する。
90年代〜2010年くらいまで、ほとんど家の数は増えることがなく、限界分譲地の荒廃は続く。
しかし、現在まで続いているわけではない。限界分譲地でも投資ブームがきている。東京の物件が高くなっていて、不動産投資家は今まで買っていた物件を買えなくなる。地価が安い物件が脚光を浴びるように。80年代後半〜90年代半ばに建てられた物件が手放されて、200~300万という安価で市場に放出されるように。2010年後半、吉川さんがブログを始めたタイミング。200万、300万の物件が広告が出るたびに即売れるように。しかし、住む用ではなく投資家が賃貸物件として運用。
二つの問題がある。
まず、賃貸物件に住んでいてはその周りの環境をあまり考慮しない。千年村であれば、この土地は代々守ってきた場所であるという自覚があるが、賃貸にはない。いずれ退去することを見込んで借りる。自宅さえ住めればよくて、周りの環境を維持することに気を回す人が多くない。貸家ばかりが増えるのは問題。空き家よりは貸家の方がいいとは思うが。
2つ目は、その貸家が実需に基づいているか?ということ。15年くらい全然借りる人なんていなくて、70年代の土地と同じ。投機ばかりが繰り返されて売買がずっとされ続けている。市場を見るだけでは判断ができなくなっている。宅地需要が高かったバブルの時でさえ需要がなかった家なのに、今また市場で売られたところで埋まるのか?70年代を繰り返しているだけでは?まともに住宅として機能しているのか?怪しい。単に土地が荒れているだけでなく、実需と投機需要が入り混じっている。
〈吉川さんがなぜ限界分譲地に住んでいるのか〉
まずは家の安さ。一軒家でも家賃5、6万。
都会が好きではなかったが、仕事の都合上仕方なく住んでいた。結婚するにあたって、元々地方出身であったこともあって。隣の家との距離が離れているのが好き。様々な活用の選択肢がある、自分用スペースの拡張が容易。市街地からは遠い、不動産市場に乗ることはないと思うが、趣味用としてはいいのではないか。値段が安く、一般の住宅地では認められない、自分のスペースの拡張が容易な住宅。そんな住宅地の選択肢があっても良いのでは?そう思ったのが、ブログを始めた動機。限界分譲地を買った、利用した当事者の情報が圧倒的に不足していた。ブログをその情報を得る場所にできたらと思った。分譲地全ての再生は無理だが、一部は使えばいい。使えないなら、市場から退場して貰えばいい。そう思った。
14:00-14:30
講演② 限界ニュータウンとどう向き合うか?
- 千年村と限界集落:高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)、口石直道(早稲田大学)
- 千年村と近代の開発:近藤真(株式会社Woven Planet)
千年村と限界集落
高橋大樹
限界集落大字に着目。
千葉県の千年村、254大字、そのうち26大字。
千年村と限界集落大字は重ならなかった。
千年村の立地は大地と丘陵地の際部。
限界集落の立地は河川上流部の山地の立地が多く見られた。
千年村成立以降に、人口増など、土地が足りなくなった時に流域上流、台地上位面などへスプロールしていくことが示唆される結果として、千年村よりも生産能力が低い。
利根川沿いでは、限界集落は、千年村に比べて面積が狭い。
南房では、千年村と限界集落が隣接している箇所も。
口石直道
茨城県における千年村候補地と限界集落の重複地域の研究をした。
集落の持続における重要な要素を明らかにする。
1995年時点の準限界集落は2020年時点で限界集落化。よって準限界集落も限界集落としてここでは扱う。
重複箇所:県北の山麓地域・県南の水郷地域
千年村候補地と、限界集落の立地は重複する箇所もあった。
環境・地域経営・交通の三要素から分析。
水郷地域
環境:水環境に囲まれている。
交通:舟運利用、線路の敷設が難しく、舟運を長らく利用
地域経営:霞ヶ浦と利根川間の沖積低地、北浦の沿岸の洪積台地で生業が異なるがどちらも舟運に大きく頼っていた。
舟運が近代以降、陸上交通に変化した。陸上交通に変わったことで、霞ヶ浦や利根川は、交通インフラから障害物に。
水郷地域について、環境は交通に強く影響を及ぼし、交通は地域経営に強く影響を及ぼすことから、集落の構成要因が密接に結びついていた。
木下剛
高橋さんの発表では千年村候補地と限界集落は重複しないとのことだった。一方茨城では千年村候補地と、限界集落の立地は重複する箇所もあった。水上交通から陸上交通への変化という、ダイナミックな変化にが千年村も限界集落化することもある。
千年村と限界集落
近藤真
千葉県の印旛地域。大字422件。
現在の都市計画区域の市街化区域と市街化調整区域の両方の区域にまたがる大字に着目した。
大字の機能が現在でも引き継がれているか?集落のプレッシャー
現地調査のまとめとして以下の点が挙げられる。
・開発地が農地に影響が少ない場所で選定される。(使い道が少ない山林や効率の悪い農地)
・大字材の都市所有を保持しつつ、生産性の必要に応じ、大字外の土地を取得した。
・農地の維持管理は集落で協働
よって、大字にあった機能の維持が確認された。
大字の開発パターン
A)比較的生産性の低い土地を開発し農地を維持
B)区域区分で大字を分断して共同体を維持
自分達がその土地に住み、特性を把握し、土地の所有と管理が重なり合う状態が維持されることが農地・集落維持には大事なのではないか。
木下剛
千年村のうち、利用価値が相対的に低いところが選択されて開発用地として解放されていったというまとめができる。
14:40-16:00
パネルディスカッション
- 話題提供 千葉県横芝光町の限界ニュータウンと千年村調査報告:中谷礼仁(早稲田大学)、高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)
- ディスカッション 限界ニュータウンのこれから
- 登壇:講演者+話題提供者
- モデレーター:日埜直彦(日埜建築設計事務所)
話題提供 千葉県横芝光町の限界ニュータウンと千年村調査報告
高橋大樹
栗山川沿い。限界分譲地はどこも地形のギャップがあるところに位置している。
<限界分譲地 分析まとめ>
- 栗山川沿いは地形の高低差があり、限界分譲地はその際部に位置していた微高地に位置しているため、居住環境としては悪くはないといえる
- 限界分譲地は旧集落からは距離がある位置に立地する初の土地利用は山林が多く、1970年代以降に土地売買、宅地開発が行われた
- 戸建の建設は、1980年代後半から90年代初頭にかけて始まっている
- 山林の種目が多かった理由は種目変更がなく、宅地をつくれるためかと思われる
- 古来より栗山川沿いは変化の激しい地形のため集落の形成は起こらずに薪炭林や水害防御林として機能していたことが限界分譲地への転換へつながった可能性がある。
千年村との関係。限界集落は、千年村候補地から外れた山林に位置しているのが傾向としては見られた。
中谷礼仁
吉川さんにご登壇いただいた理由。本が面白かったということが1つ。また、調査地であった横芝周辺は千年村が多かった。千年村と限界ニュータウン間にどう関係があるか関心があった。
横芝光町の調査について。元々川沿いの水田だったと思われる低地を、分譲地に宅地変更した。宅地の区画の小ささが目立った。郊外または郊外より外にあるにも関わらず、東京のミニ開発の敷地くらい。30坪くらいで売られている。郊外に行けば、広々としていると思ったのに、都会の論理がそのまま地方に適応されている。
〈新しい動きについて〉
- 元々低地だった場所に、新たにレンタルボックスのようなものが置かれている。
- 宮川は、旧光町で最も集中的に乱開発が進められた一帯。大きめの限界分譲地。宮川は、車があれば十分遊びに来れる場所。趣味として使われているように思える家もあった。
- 道端のブロックをみると、2、3つの区画をまとめて買って、大きい家を建てている例も。
- 区画をバスケットコートに転用するなど、自由度の高い宅地として利用され始めている。
- 電信柱がずっと先まで繋がっているために、どこまで続いているかと奥に向かっていけば一つぽつんと住宅があるのを見つけた。新しい住宅であるように見えた。これも新たな動きの一つかもしれない。
- ソーラーパネルが、元の宅地の区画を越境して建てられている例もあった。区画の所有が進んでいなかったためにできた転用方法かもしれない。
ディスカッション 限界ニュータウンのこれから
日埜直彦
現地を拝見して、裏寂しい住宅地の光景のインパクトに直面して、どうにかしなきゃいけないと思った。限界ニュータウンと対照的な千年村をぶつけることで、相対化し、何か限界ニュータウンに可能性を見出したい。
限界分譲地は、なぜ放置されているのか。都市圏が大きくなり郊外で宅地化が進行したが、都市の拡大の停滞により実際に使われず放置された。それが一般論。しかし、横芝光町はそれだけではない。
横芝光町は、将来の地価上昇を見込んで宅地を買う「財テク」の失敗の結果。さらに別の要因として水田の減反政策がある。戦前から、国策によって水田が増えた。しかし70年代以降、減反政策がされた。水田がいらなくなっていった。わずか半世紀で反転した農業政策によって余剰地が増えることに。
農村では第一次産業を生業とし、土地そのものが生存の基盤となる。一方で都市郊外はそうではない。住宅地は労働・生活から遊離している。となると土地の資産価値が低下しやすい。
横芝光町は旧集落に隣接している。微高地であり砂地であり、農業向きではない。また、属地域的性格は少ない。限界集落とは違い、ただの資産を得るための場所だった。
減反政策により農業の収入水準が低迷。農地売買により救われた農家もあった。都市で働いている人の収入が地方の農家に再分配される構図があった。
限界分譲地はなぜ放置されるのか?ということが根本的な問題なのでは。土地→農地→宅地化→限界分譲地という、一方向性が問題なのでは?「資源としての土地」と「資産としての土地」の間で流動的に動くことが、必要なのではないか。バブル崩壊後、限界分譲地の価値が非常に下がった。「その失敗を忘れたい。放置コストは低いし、損切りをして手間をかけてまで処分する気持ちにはならない。」という人は多い。それが良くない。千年村は、生活と土地が近目の前に土地があるというリアリティがある。使われていない土地も、「放置」ではなく、いつか使うまで寝かしている位の気持ち。土地の使われ方に、財テク的野心がない。限界分譲地では、土地が漂流していても生活と土地が遠い。よって、その土地を使いたい人がいても、誰に言ったら良いか分からない。一方で、千年村は所有者がわかることが大きい。使われていない土地があっても、限界分譲地のように放置されにくい。
[fig2]
所有者不明土地は国土面積の22%。面積が大きい山林で、放置場所が多いから数値が大きく見える。それにしても普遍的な問題。活用可能性のある土地が放置されているのは損失である。
元々自分の土地じゃなくても、持ち続けていれば一定の条件を満たしている場合自分のものにできる。時効取得は、所有制度の落とし穴を救い、所有者不明土地という損失を減らすものかもしれない。
- 時効取得について
- 民法(明治29年制定、令和3年改正)
- 第162条・1 20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。
- ここで「物」は不動産と動産を指し土地を含む。土地所有権の移転は、通常、契約や相続など承継取得による。だが上記規定の「時効取得」は、たとえば海で類を釣った場合と同じ、原始取得として扱われる。欧米のスクォッター(squatter)に近い民法の規定。
日埜直彦
吉川さんがフィールドワークの中で実感されていることはあるか。限界ニュータウンは社会の成り行きとしてしょうがないのか?
吉川祐介
土地の開発としては間違った結果だと思う。どう考えても正常ではない。杜撰すぎる。ただ、なってしまったものは仕方ない。こうなっている以上、先のことを考えた方が良い。一部だけでも、限界分譲地が今後活用されたらそれでいい。
日埜直彦
あの風景は、不動産業者、放置してる地主の人、農家、安易に受け止めた自治体があって出来上がった。そこで出来上がったあの風景から可能性を見つけたい。
本日の話の中で、体力のない自治体で、人が実際に投機目的の家に住み始めたから問題になったというのが面白かった。インフラ整備の不足という問題。宅地開発するには、許可を取る必要がある。宅地開発のための手続きは行われているだろうが、自治体もそれを安易に許容する。そのツケが、人が住み始めてから自治体に降りかかる。こういった話は現地調査でしか分からないだろう。具体的に、どういう場面でこういう話を聞くのか?
吉川祐介
行政に開発許可の記録を見に行ったことがある。小規模な宅地の記録はほぼない。小規模な分譲地が多く作られて行ったのは、許可を取ることすら必要でない規模だから。だから、そういったものの調査をするには、登記簿を引っ張り出すしかない。
日埜直彦
1000平米を超えると開発許可がいる。よって細かく分割して開発するという逃げ方をする。あるいは、行政も「土地が売れるからいいか」と思って見すごしていたのかもしれない。
吉川祐介
今でも、自治体は分譲地にたいして危機感や関心があると思えない。
日埜直彦
リノベ賃貸とか、東京近郊では増えている。素人が技術を考えず安易に不動産投資して問題になるという例も。
千年村は生活と生業が結びつき、持続性が守られる場所。限界分譲地がそう言った場所になる展望は見えるか?
吉川祐介
土地の条件が違うし、住む人の意識も違う。だから、住宅としての再生しか思いつかない。今は、個人の取引が無秩序に進められている状態。
日埜直彦
吉川さんは、本を書く、Youtubeをやるという家の中でできることで生活が成り立っている。リモートワークで、限界分譲地でもいいのではという人が出てくる動きは想像できるか。
吉川祐介
そういう人は出てきている。今限界分譲地にいる人も、勤務地に行かなくていい必要がある方が多いと思う。ただそれでは先細りするから、別の使い方が必要だと思う。
中谷礼仁
今後の限界分譲地の土地の展開の仕方が、我々の関心の中心である。小さく分譲されたものを、今後どうやって使っていけばいいのかということ。
吉川祐介
そもそも私が住む場所として分譲地にこだわる理由として、農村地域の家では土地が広すぎて、管理しきれない事が考えられるからということがある。周りが広々している場所は欲しいけど、自分が管理するスペースは小さくていい。よって分譲地を、使う面積を自分で選べる住宅として、容易に流通させたい。「使う面積を自分で選べる」とすれば可能性があると思う。
中谷礼仁
限界分譲地の面白さは、小さい区画を飛び地で買うことができることではと思った。
吉川祐介
実際、知り合いで飛び飛びで五区画買っている人がいる。一区画では少なく、不十分。車を置くスペース、自由に使えるスペースを住む家と別の場所を作っている。
中谷礼仁
宮川にあったバスケットコートがいいと思った。自分の趣味のために使ってたとしても、他人がそこに参加できる可能性はある。それを使って、多少のゆるい縁ができないか。
吉川祐介
そのような場所の使い方に関する知恵をもらうために、ブログを始めたところもある。
日埜直彦
人によって区画の使い方は様々。いわゆる生活と地域がべったり絡み合っている千年村的あり方とは違う可能性を、それぞれの人が見つけていく場所として役割を持てる気がした。
東京周辺だと、限界分譲地はどこでもあるのか。それとも特殊なものか。
吉川祐介
一都三県では、知っている限りは千葉の外縁部が多い。ものすごく数が多いわけではないと思う。千葉が特殊なのは、草刈り業者が仲介となって、分譲地が市場に出回るということ。なぜ千葉がこのような状況になったかは分からない。分譲地が、不動産業者以外の業者の行動場所になっている場所は千葉しか知らない不動産業者は、誰が買うか分からない土地なんて買わない。しかし別の業者の活動場所にもなると、物件が市場にたくさん出回ることとなる。そうすると、買うだけでなく手放すのも容易。千葉しか、誰が買うかも分からない物件が市場に出回っている場所はない。千葉のように、草刈りといった産業ができているとか、買うだけではなく手放すことも容易な場所であれば可能性が高まると思う。千葉は分譲地の選択肢の幅が段違い。限界分譲地が市場に数千件出回っている。
木下剛
限界分譲地の種地は、千年村など古いコミュニティの一角である。その一角は、千年村にとっては利用価値がない場所。
現地に行って、隣の土地を使えるメリットを感じた。吉川さんに伺いたいのは、区画を使い始めるきっかけというのは?勝手に使う人もいるのでは。
吉川祐介
そういうのは横行してる。
木下剛
公共の福祉的にはいいことだとは思う。
吉川祐介
使い手の言い分もそう。ただ法的にグレーなので、前面には出せない。
木下剛
安いけれど、魅力的な資源として住んでいる人が増えているように思った。
日埜直彦
資格を取るだけでは分からない世界を見ているのが吉川さんだと思う。
吉川祐介
調べた情報を公開したら反響が大きかった。
日埜直彦
皆、見て見ぬ振りしていた問題に答えてくれるソースとして、吉川さんの活動があると思う。そういう関心は世間にあることが顕在化された。それを起点とした新たな人の参入など、限界分譲地の展開に期待したい。
吉川祐介
資産として扱われる場合、荒れてても家は売れる。しかしもっといい使い方が欲しい。
日埜直彦
水道が使えないというのはあるのか。
吉川祐介
八十年代に入ってからは、水道を引いている分譲地が多い。そういうところは基本家があれば使われている。ただ一件も家がない場所にある水道は使えるか分からない。
団地の施設水道として設置されているものは問題が山積み。
日埜直彦
限界分譲地の流動性をあげるための次の動きに期待したい。今は吉川さんが頑張っている状態だが、別の人の参入もあると良い。
中谷礼仁
市街化区域と市街化調整区域について。今回の限界分譲地は市街化区域だろう。都市化に見合った区画としてデザインされる。一方千年村は市街化を抑制する、調整する区域。市街化調整区域の使われ方の先がどうなるのだろうか。
吉川祐介
限界分譲地では、それらの区域の線引きがない。市街化区域と市街化調整区域の線引きが行われなかったエリアで、乱開発がされている。線引き前に行われた分譲地の扱いが難しい。
近藤真
市街化区域があってその周りに調整区域がある。
日埜直彦
市街化調整区域は、都市化をコントロールするのが趣旨。建てられる建物は、農業系のもの。吉川さんの言っていた使い方の例は市街化調整区域で許されるか?それも、許されていいのでは。市街化させたいわけではないし。
個人ではなく行政が時効取得をやってもいいのでは。土地の使い道は、別荘地とか住宅地とか、類型化されたものばかりではない。新たな使い道が柔軟に土地に与えられるような制度や動きが必要。
第二部:千年村交流会
司会:土居浩(ものつくり大学)
16:15-16:20
趣旨説明
土居浩(ものつくり大学)
千年村の活動は冒頭でも話したが地域からも依頼が来て相互協力になってきた。今回は麻生、山田井、岸の報告がある。そのほか学生からの活動の報告が後半にある。
16:20-17:15
活動報告
(1) 麻生(茨城県行方市麻生) 行方市役所
中谷礼仁
麻生からは報告書を受領したので、それを共有して進める。
麻生は行方市の中心地で、平成二十九年から認証千年村の第一号として認定した。
その後、行方市と協定締結を合意したものの、コロナ禍で地域活動の停滞が余儀なくされた。
千年村は認証するときに管理人をおくこととしており、地域おこし協力隊員としてプロジェクトメンバーでもある松木隊員が中心となっていたが、本人の退任に伴い、まだ明確な方針が定まっていない。
今後は行方市は明確な活動方針と推進計画の策定(予算含む)、事業に関する人員の配置が必要。
千年村プロジェクトの方からは行方市の協力を得て千年村マップを送るなどの活動をしている。
(2) 山田井(三重県津市大里睦合町山田井) 辻武(つじ農園)