第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
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開催概要
第7回千年村大会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
日時:2023年3月5日(日) 13時~18時
場所:Zoomを使ったオンライン開催(参加無料,定員100名)
主催:千年村プロジェクト
詳しくはこちらをご覧ください。
〈記録担当〉
第一部 早稲田大学 二上、牧野、呉
第二部 東京大学 吉田、慶應義塾大学 鈴木、梁
プログラム
第一部
以下、開催レポート(敬称略)
第一部:講演会 千年村 meets “限界ニュータウン” ―吉川祐介氏を招いてこれからの住み場所を考える―
司会:木下剛(千葉大学)
13:00-13:10
千年村プロジェクトについて・趣旨説明
木下剛(千葉大学)
千年村プロジェクトの設立の経緯は東日本大震災。早稲田大学で防災を研究している長谷見先生から、壊れた街ではなく壊れなかった地域への着目すべきだとの助言を受け発足。当初は自主的に行っていた認証活動だったが、2017年山田井、2019年岸から認証依頼がくるように。
<第一部講演会の趣旨>
千年村とは限界集落化しないのではないかという仮説が千年村PJにはあった。それに対してまさに限界化した住宅地、限界ニュータウンとは何かという基調講演を頂く。千年村というものは本当に限界化しないのか?ということを高橋さん、口石さんよりお話頂く。続く近藤さんからは千年村の生存をかけて土地を売ったり開発したりする際、どういった土地が対象となるのか、レクをして頂く。そして、千葉県横芝光町の調査の結果の報告、日埜さまのモデレーターによるディスカッションを行う。
[fig1]
13:10-14:00
講演① URBANSPRAWL 限界ニュータウン探訪記
吉川祐介
限界ニュータウン、著書、動画を運営。千葉県の限界ニュータウンを紹介する活動をしている。
限界ニュータウンにはっきりとした定義はない。限界集落を語源とした言葉ではある。限界という語感、イメージ前提で使われている。
限界ニュータウン、限界分譲地が生まれた背景。戦後、都市に人口が集中する過程で、住宅需要が増加。茨城、千葉に官民共同で開発されたニュータウンが増加。
60年代半ばごろから宅地開発が進んだ。宅地そのものが不足していた時代。不動産も成熟してなかった。なんでも売れた時代。買おうと思っても変えない時代。
例えば多摩ニュータウンは、抽選で当選したら購入できる。
そうすると、転売して利益をあげようという考えが出てきた。土地そのものが、投資目的になった60年代後半。通常の需要に加えて、投資目的も相まって売り手市場に、高度成長期からバブル期の地価の向上に繋がる。
そもそも地元の人をターゲットにしていない、東京、神奈川在住の人がターゲットだったが、どう考えても都内に通える立地ではない。一般の住宅広告に紛れて、実際には投機商品。一種の貯蓄替わり。実際に購入したひとが住むわけではないことは、販売者側もわかっていたと思う。訪問営業も多く行われていたのでは?
今の土地投資っていうと、資産家の行うもののイメージ。しかし、当時であれば資産家ではなく一般的なサラリーマン、商店主のような人が貯蓄がわりに購入していたケースだった。庶民でも飛びつくような投資案件が、株ではなく土地だった。
この動きがピークに達するのが70年代初頭。1975年頃を境に、一旦失速。
土地はたくさん買われたが、購入したの人は都市部在住の人。更地のまま保有していた。購入の流れは一旦失速したが、土地自体の価値は下がっていなかったため更地のまま放置され続けた。当時の新聞でも、投機型分譲地が放置されていることが報道されていたが問題視されているわけではなかった。
大きな開発ブームは70年代初頭。70年代後半、80年代初頭は落ち着いてはいたが、土地の価値が下がったわけではなかった。
80年代後半バブル到来、土地の値段が高騰する。リゾート開発ブームも後押し。
千葉県の限界分譲地の一番の問題、投機用に購入された土地が実際に使われてしまう事例が起きてしまった。
土地の分譲は70年代ごろから行われていたが、あまりに地価が高くなりすぎてこういうところにしか家を立てられない人が現れて、80年代後半から90年代に家が立つように。
都内だけでなく、外縁部の郊外でも地価の高騰が起きていた。千葉市内に勤務している人でも、千葉市内に家を買うことは困難に。そのため、さらに郊外の古い投機型分譲地に住むように。しかし、それだけでは70年代の大量に分譲された土地は埋まらなかった。
この投機型分譲地があるのは財政規模の小さな自治体ばかり。特に受け入れ態勢も整っていない。小さな町の中心部からも、離れている山間部に小規模な住宅地が乱立。インフラ整備、教育の整備に追われる。ヤチマタ市、トミサト市、サンム市。新学期になるたびに、転校生がくる。教室が足りなくて、体育館で授業。学校も新しく立てたが、20年あまりで閉校。急な人口増加の対応に追われる。
90年代後半、こういった分譲地の住宅が使われなくなってくる。
当時購入した金額よりかなり安い値段で売らなくてはいけない。持ち主、高齢化。もうほっとくしかない。
売ればいいじゃないかということより、解体して更地にして売ればいいじゃないかが通用しない。更地に希少価値が全くない。全体としては圧倒的に、更地が多い。解体費用が上乗せされた更地など需要がない。解体費用より更地がすでに売っている。地価が下がりすぎて家をうる理由がない、90年代後半から、00年代。
千葉県多古町では、50に分譲されたうち10程度しか人が住んでいない。分譲地の住環境そのものが荒れ始めていた。千年村は地域の繋がりが濃密であれば地域を綺麗に整えようという動きがあるが、限界分譲地は土地所有者が都市部在住であるため、この土地を見にこない。住んでいる人も、ずっと住んでいるわけではなくせいぜい20〜30年。買う時も、手放す時もあっけない。隣に住んでいる人の顔もわからないような地域では、維持しようというプレッシャーがないに等しい。手放した者勝ちのような状況。
家以上に売りにくいのは更地。売ってしまったら、損は確定。今後価格が上がる可能性は低いが、売らなければ損の確定はしない。よって売る決断ができない。だから放置する。
90年代〜2010年くらいまで、ほとんど家の数は増えることがなく、限界分譲地の荒廃は続く。
しかし、現在まで続いているわけではない。限界分譲地でも投資ブームがきている。東京の物件が高くなっていて、不動産投資家は今まで買っていた物件を買えなくなる。地価が安い物件が脚光を浴びるように。80年代後半〜90年代半ばに建てられた物件が手放されて、200~300万という安価で市場に放出されるように。2010年後半、吉川さんがブログを始めたタイミング。200万、300万の物件が広告が出るたびに即売れるように。しかし、住む用ではなく投資家が賃貸物件として運用。
二つの問題がある。
まず、賃貸物件に住んでいてはその周りの環境をあまり考慮しない。千年村であれば、この土地は代々守ってきた場所であるという自覚があるが、賃貸にはない。いずれ退去することを見込んで借りる。自宅さえ住めればよくて、周りの環境を維持することに気を回す人が多くない。貸家ばかりが増えるのは問題。空き家よりは貸家の方がいいとは思うが。
2つ目は、その貸家が実需に基づいているか?ということ。15年くらい全然借りる人なんていなくて、70年代の土地と同じ。投機ばかりが繰り返されて売買がずっとされ続けている。市場を見るだけでは判断ができなくなっている。宅地需要が高かったバブルの時でさえ需要がなかった家なのに、今また市場で売られたところで埋まるのか?70年代を繰り返しているだけでは?まともに住宅として機能しているのか?怪しい。単に土地が荒れているだけでなく、実需と投機需要が入り混じっている。
〈吉川さんがなぜ限界分譲地に住んでいるのか〉
まずは家の安さ。一軒家でも家賃5、6万。
都会が好きではなかったが、仕事の都合上仕方なく住んでいた。結婚するにあたって、元々地方出身であったこともあって。隣の家との距離が離れているのが好き。様々な活用の選択肢がある、自分用スペースの拡張が容易。市街地からは遠い、不動産市場に乗ることはないと思うが、趣味用としてはいいのではないか。値段が安く、一般の住宅地では認められない、自分のスペースの拡張が容易な住宅。そんな住宅地の選択肢があっても良いのでは?そう思ったのが、ブログを始めた動機。限界分譲地を買った、利用した当事者の情報が圧倒的に不足していた。ブログをその情報を得る場所にできたらと思った。分譲地全ての再生は無理だが、一部は使えばいい。使えないなら、市場から退場して貰えばいい。そう思った。
14:00-14:30
講演② 限界ニュータウンとどう向き合うか?
- 千年村と限界集落:高橋大樹(株式会社ランドスケープデザイン)、口石直道(早稲田大学)
- 千年村と近代の開発:近藤真(株式会社Woven Planet)
千年村と限界集落
高橋大樹
限界集落大字に着目。
千葉県の千年村、254大字、そのうち26大字。
千年村と限界集落大字は重ならなかった。
千年村の立地は大地と丘陵地の際部。
限界集落の立地は河川上流部の山地の立地が多く見られた。
千年村成立以降に、人口増など、土地が足りなくなった時に流域上流、台地上位面などへスプロールしていくことが示唆される結果として、千年村よりも生産能力が低い。
利根川沿いでは、限界集落は、千年村に比べて面積が狭い。
南房では、千年村と限界集落が隣接している箇所も。
口石直道
茨城県における千年村候補地と限界集落の重複地域の研究をした。
集落の持続における重要な要素を明らかにする。
1995年時点の準限界集落は2020年時点で限界集落化。よって準限界集落も限界集落としてここでは扱う。
重複箇所:県北の山麓地域・県南の水郷地域
千年村候補地と、限界集落の立地は重複する箇所もあった。
環境・地域経営・交通の三要素から分析。
水郷地域
環境:水環境に囲まれている。
交通:舟運利用、線路の敷設が難しく、舟運を長らく利用
地域経営:霞ヶ浦と利根川間の沖積低地、北浦の沿岸の洪積台地で生業が異なるがどちらも舟運に大きく頼っていた。
舟運が近代以降、陸上交通に変化した。陸上交通に変わったことで、霞ヶ浦や利根川は、交通インフラから障害物に。
水郷地域について、環境は交通に強く影響を及ぼし、交通は地域経営に強く影響を及ぼすことから、集落の構成要因が密接に結びついていた。
木下剛
高橋さんの発表では千年村候補地と限界集落は重複しないとのことだった。一方茨城では千年村候補地と、限界集落の立地は重複する箇所もあった。水上交通から陸上交通への変化という、ダイナミックな変化にが千年村も限界集落化することもある。
千年村と限界集落
近藤真
千葉県の印旛地域。大字422件。
現在の都市計画区域の市街化区域と市街化調整区域の両方の区域にまたがる大字に着目した。
大字の機能が現在でも引き継がれているか?集落のプレッシャー
現地調査のまとめとして以下の点が挙げられる。
・開発地が農地に影響が少ない場所で選定される。(使い道が少ない山林や効率の悪い農地)
・大字材の都市所有を保持しつつ、生産性の必要に応じ、大字外の土地を取得した。
・農地の維持管理は集落で協働
よって、大字にあった機能の維持が確認された。
大字の開発パターン
A)比較的生産性の低い土地を開発し農地を維持
B)区域区分で大字を分断して共同体を維持
自分達がその土地に住み、特性を把握し、土地の所有と管理が重なり合う状態が維持されることが農地・集落維持には大事なのではないか。
木下剛
千年村のうち、利用価値が相対的に低いところが選択されて開発用地として解放されていったというまとめができる。